を増補しての感想

2013年11月03日

のうち、今回はに手を着けました。1946年(昭和21年)の記述です。


我々は戦後をリアル・タイムで過ごしているから、なんとなく知っている雰囲気になっている。

しかし勉強してみると、実は何にも知らないということがよくわかる。

とくに占領軍が何をしたのか、何をしようとしたのかについては何もわかっていない。戦後史年表のほとんどは日本政府が何をしたかで埋め尽くされている。本当の主語はGHQであるにも関わらず、記述上は日本政府のしたことになっている。まさに「皇国史観」である。

しかし実際に日本政府のやったことはGHQの方針に「日本政府」のハンコを押しただけであり、重要な政策決定はすべてGHQの中で行われていた。吉田首相をよいしょするドラマが何度も作られているが、あれは大嘘で、彼はただのマッカーサーの腰ぎんちゃくに過ぎない。外交官なんてものは“ヒラメ人”というか“手のひら人”というか、しょせんそういう人種である。

歴史を本当に、世界史的視野で知ろうと思えば、GHQの政策の決定過程、とりわけアメリカの本国政府との関係で見ていかなくてはならない。日本人には無敵に見えただろうが、GHQは米本国政府の出先機関に過ぎない。マッカーサーとGHQマフィアの光輝くキャリアは、昭和23年初頭のロイヤル陸軍長官の「日本は反共の橋頭保」発言をもって終わっている。

基本的には2年半足らずの短期間、彼らは思いっきり腕を振るった。それができたのについてはマッカーサーという人物の独特のキャラと押しの強さが結構ものを言っている感もある。それは一種の権力の空白であった。本国政府はソ連とどう付き合うのか、ヨーロッパをどうするのかで頭がいっぱいだった。一方ではルーズベルトの長期政権の下で形成されたニューディーラーをどう扱うのかも深刻な選択であった。

終戦の時点でマッカーサーは本国政府よりも右側にいた。しかし昭和23年初頭のロイヤル発言の時点で、本国政府はGHQよりも右に移動していた。

本国政府がニューディーラーをソ連内通者として排除し、マーシャル長官、アチソン次官ら国務省幹部が日本の直接支配を志向するに及んで、GHQの独自の役割は消失した。それは米政府の反共主義のたんなる執行人となった。重要な政策は彼らの頭越しに本国政府が直接取り仕切るようになった。マッカーサーはていの良いお飾りとなった

こういう流れとして、戦後の日本を把握しておく必要がある。