前にも書いたかな。
パソコンが壊れた。
Lenovo のY560 というので、たしかにもう5年間フル稼働した。寿命と言われればそれまでだが、今考えるとどうも初期不良があったようだ。
最初から排気がやたらと高熱だった。ファンの音も相当うるさかった。
ie7 を搭載した最初のノートパソコンというのにつられて発売と同時に買った。大体これがよくない。初期不良はつきものだからせめて半年してから買えばよかった。
ソニーがMDを出した時も予約で買って、3回も修理に出して、結局パアになった。それにも懲りず、据え置き型のデッキが出るとそれも見ずてん買いした。
パソコンにMDデータが移せるのが売りの、それだけの機械も買ったが結局ほとんど使わずにほこりをかぶっている。出るのが(正確には出すのが)遅すぎた。もうMP3ファイルをDACでつなげる時代に入っていた。
かつてのLPやカセットやVHSハイファイでとった音源と同様、捨てるに捨てられず、本棚の上に山積みになっている。

例によって、アルコールが回り始めて話が跳んでいく。
パソコンは最初がNECの中古、続いてエプソンの中古。これは文字通り火を噴いてお陀仏した。
ここでNEC9800シリーズとさよなら、近くにマック教の教祖が居てマックに乗り換えた。この頃はDOSV器が出始めて、三つ巴だったから、選択しなければならなかった。
しかし私にマックはあわなかった。あれは理数系の人の機械だ。週に一度は爆弾が出て、ついにあきらめた。それから富士通のFMV、エプソンのエンデバーという通信販売、IBMのシンクパッドとつないできた。
なじみの小料理屋が引退して、居抜きで買った店主のところに通い続けるのと同じで、Lenovo を買ったが、しょせんLenovo は Lenovo だ。体になじんだ椅子とカウンターは同じでも、出てくるものは総菜屋よりひどい。

ということで、ネットで一番評判のダイナブックに乗り換えた次第。
これだけ東芝のことを叩いておいていうのもなんだが、東芝はいい。我が家はテレビも冷蔵庫も東芝だ。ソニーのように時限装置が付いていないのがいい。
病院ではエコーも東芝だった。「アロカを買え」という、さる筋からのかなり強力な干渉を蹴飛ばして買ったものだ。「おまけ」の量が違うのと、東芝の販売さんが「売ってやる」式に態度がでかいのは散々聞かされた。東芝の没落には営業の責任がかなりあるのかもしれない。

またまた話が跳んだ。
それでダイナブックだが、「予想外に良い」のだ。ハイブリッドというが、ほとんどハードディスクは動かない。1時間に1回くらいかすかにモーターの音はするが、基本的には無音である。したがってほとんど熱を発しない。
SSDはたしかに250ギガでは心もとないが、今のところ2テラのハードディスクを外付けしているので、それで十分だ。何より ie7 はSSDと組み合わせてはじめてその力を発揮するのではないかと思う。
Y560 と比べると軽量小型薄型だ。タブレットに近い。しかしそれは私にとってはどうでもいい。ディスプレイの光沢がなくなって、映り込みがなくなったのはうれしい。見やすいだけではない。時に画面に醜悪な年寄りの顔が映り込むのは勘弁してほしい。
画面が小さくなってしまったのは難点だ。画面に合わせて字も小さい。二画面操作になるとてき面に効いてくる。これは老眼がますます進行している私には脅威だ。

今回の買い替えはウィンドウズ10への乗り換えと同時進行だから、使い勝手はむしろ乗り換えに規定されている。使い手は当然ながらウィンドウズ7的な使い方をしたいのだが、そのためには相当環境をいじらなければならない。
まずはスタート画面に出てくるお仕着せアプリをすべて掃き飛ばすことから始める。ついでエクスプローラー画面も縦罫もツールバーもすっきりさせてなじみのスタイルに戻す。
後は呼びもしないのにしゃしゃり出てくる「吹き出し」を排除したいのだが、まだそこまでの作業はできていない。
ここまでの印象としては、ウィンドウズ10は7をはるかに超えるような水準にはないし、完成度もまだまだということだ。95→98SE→XP→7と進んできた私には、Me とかNT とか Vista などは縁なき存在だった。しかし通信速度、記憶容量が文字通りけた違いに増えて行く流れの中ではOSの改変は不可避的だった、7から10への「進化」にはそういう背景がない。理由なき改革は「進化」ではないように思えるが、いかがであろうか。
私の考える今一番のネックは、活字のテキストファイル化である。一つには著作権の問題がある。もう一つはそれがクラウド化されたとして、そこへのアクセスの問題=ハッキングやネット犯罪への対策がある。
現実の世界の中で「自己責任」がやかましく言われるようになったのは、ネット世界の影響があると思う。ネット世界が自由で開放されたものになればなるほど、自己責任の範囲も拡大せざるを得ないのである。