いま、50年前のことを一生懸命思い出している。

昭和40年、北大に入学したのだが、私の周りが貧乏学生ばっかりだったせいか、私は裕福とみなされていた。もちろん裕福どころではないのだが、恵迪の寮生はひどかった。

叔母が探してきた二食のまかない付きの下宿で、最初は1万円だったが、その後数年の間に1万数千円まで上がった。下宿人は医学生やサラリーマンなど裕福な人が多かった。

6畳一間に押入れつき、暖房なし、トイレは共用。

普通の学生は間借りで4千円、まかない付きで7千円くらいだったのではないだろうか。4畳半を二人で借りている奴もいた。

昼は生協食堂でB定食が70円、C定食が90円。サービスランチは120円だった。授業をサボって街に出て、駅のミカド食堂でミカドランチが180円、ニシムラのサービスランチが160円、これはかなりのごちそうだった。

その後駅地下の映画館で1本立て80円の映画を見て、帰りの電車賃が15円だった。

独り立ちするとイロイロかかる電気料、水道料、ガス代、NHK受信料その他もろもろは一切なかった。新聞は赤旗日刊(本紙といった)が900円、日曜版は忘れた。岩波文庫が星ひとつ50円。

学部に入ると金遣いは俄然荒くなった。全学バリストだから授業はない。その間にタバコと喫茶店と雀荘とパチンコ屋を憶えた。コーヒーは80円だった。行きつけの食堂で酒を飲む習慣も身についた。

ストライキが終わってもその習慣はなかなか抜けるものではない。どういうわけかその頃から世の中カネのめぐりも良くなって、仕送りも増えた。

卒業頃には月2万ちょっとくらいは使っていたのではないだろうか。下宿代を抜いて一日500円位か。

それに引き換え、入学の頃はたしかにまったくカネは使わなかった。酒は飲めなかった。タバコは2年目の秋ころに覚えた。石油ストーブの4斗缶と、夜中に食べるインスタントラーメンくらいだったかな。一日150円未満ですんでいたかもしれない

物は高かった。古道具屋で自転車を買ったが6千円した。スキーを友達に選んでもらったら、えらく高いものを買う羽目になって、靴と合わせて5万円くらい取られた。人生で5本の指に入る無駄遣いだった。

自分で悩みに悩んで決断したのはソニーのオープンリールのテープデッキ、録音もできる新製品で5万円くらいだったと思う。これでFMを録音して聞いていた。テレビは結婚して嫁さんが持ち込むまでなかった。

その頃の勤医協の医者の初任給が5万円だった。



日銀のサイトから

TOP > 対外説明・広報 > 日本銀行を知る・楽しむ > 教えて!にちぎん > 日本銀行や金融についての歴史・豆知識 > 昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?

答え: 平成24年の物価は昭和40年の約1.9倍なので、昭和40年の1万円は平成24年の約1.9万円に相当する計算になります。また、消費者物価では約3.9倍なので、約3.9万円に相当するという計算になります。



消費者物価指数が4倍位とすれば、いまの物価にすれば1日800円位は使っていた計算になる。物というのはいくら高くても、買わなければ済む。サービスはそうは行かない。そこは今の世のほうが住みにくいのではないか。