2月20日、土曜日、多喜二祭の集会に参加するために小樽まで行ってきました。
1.小樽 最近の様子
汽車に乗って銭函の駅を過ぎると、線路はやおら波を浴びそうなほど海岸ぎりぎりに出ます。この波を見たとたん「あぁ小樽に帰ってきた」という気分になります。
まるで省線の四ツ谷駅みたいな切通の底の南小樽駅を過ぎて、突然高架になって右手に港の風景が広がるとやがて終着駅小樽です。この駅は跨線橋をまたぐのではなく、地下に下りる階段を下って、そこを右に曲がると改札口になるのです。とにかく原野に碁盤目の札幌では味わえない、そういうハイカラさが小樽独特のものでした。
ここまでは小樽診療所の所長だった20年前の小樽、余市診療所長だった40年前の小樽と変わりない風景です。
降りてからが全然違う。20年前、すでにうら寂しげな街でしたが、いまやもはや死にゆく街です。駅前通りこそかろうじて街の雰囲気ですが、その1本西側は廃屋通りです。木造3階建、奥行きの深い、さぞや往時はブイブイ言わせたであろう町屋が、いまや無住の家となり残骸をさらしています。
その中の一軒が、今夜の楽しみにしていた「竹八」でした。小樽診療所の所長時代は三日と明けず通い続けた小料理屋です。ここでは締めサバと本マグロの山かけで始めて、季節のものが出てきて、最後は串カツというのが定番でした。とんかつソースを両面漬け、辛子もたっぷりつけて泣きながら食べるのが定番です。亭主があきれてみていました。最後は串カツを10本くらいお土産にして診療所に帰ったものです。
あるいは気分が乗れば、そのまま花園通りまで足を延ばして、ディープな浮世通りに場違いなスナック「新世界」で、サンバ・カンシオン(ときどきセザリア・エボラ)を聞きながら、ご自慢のチーズパイでスコッチを傾けるのが日課でした。
2.当日講演の紹介
講演は小樽商大の多喜二研究者で、非常に水準の高いものでした。多喜二が大の映画フアンで、おそらく小樽時代に見た映画からずいぶん影響を受けているのではないか、ということで当時の映画を映像で紹介しながらプレゼンテーションしてもらいました。
改めて納得したのですが、多喜二の見た映画はサイレントでした。我々はつい考え違いしてしまうのですが、明治生まれの人はまず画像から映像に入り、ついで音声に至るという文化受容の経過をたどったのです。
文字(原語)に始まり翻訳→画像→動画像→音声という経過は、明治・大正の新文化を考えるうえで念頭に置いておいておいたほうが良いようです。
3.夜の小樽
結局飲み仲間との再会はかなわず、一人で街へと繰り出しました。といっても8時の汽車に乗らないと介護に差し支えるので、ちょいといっぱいのつもりで小樽駅周辺で探すことになりました。
「竹八」はもうありません。とりあえず「島崎」に行きましたが満員お断りでした。そもそも選択するほどの店はもはや駅近辺にはありません。仕方ないので、アーケード街からちょっと脇に入った昔からの「炉端焼き」に入りました。相変わらず頭が高い。ネットで宣伝しているのか観光客が入り始めていて、ますます構えが「老舗」風になっています。
結局、注文の品が来ないまま店を出たのですが、おかげで快速の最終に乗り遅れてしまい、自宅についたのが9時半でした。
いささか画龍点睛を欠く20年ぶりの夜の小樽でしたが、今どきの小樽としてはこんなものでしょうか。