前の記事で引用した柳谷さんの文章は、下記の論文からの孫引きである。
この論文は介護者の援護について、樋口恵子らジェンダー派の人たちとの論争の書であり、したがってやや難解である。
ここでは、介護は近世からの引き継ぎ課題であることを明らかにした部分を要約紹介しておく。

三富 紀敬 「介護者, 介護者支援と社会政策研究」 「静岡大学経済研究」2009年12月


A)社会の高齢化は理由にはならない

社会の高齢化にともなって介護問題が顕在化したというのは、必ずしも事実ではない。

平均寿命の延長は乳幼児死亡率の減少によるものであり、乳幼児期を生き延びた人々の平均寿命は必ずしも低くはなかった。

高齢者比率の増加は間違いないが、それは乳幼児死亡の低下及び出生率の低下によるものであり、高齢者の数が増えているとはいえない。むしろ健康で自立した高齢者の増加により、就労者負担は減っている可能性もある。

この説明の当否は(要介護高齢者+要養育年少者)÷(介護者+養育者)の比率を時代で追っていくことで説明しなければならないだろう。

B) 介護が話題になる前の介護

新村拓によれば、1815年(文化11年)の『関口日記』には以下の記載。

老病を介護する『介抱人』は疲労を含む厳しい生活を送っている。息子や娘は介抱のため奉公を止めて家に帰り、あるいは、奉公先に頼んで介護休暇を取ったり、家に居てできる仕事に変わったりしている。

前の記事でも紹介した柳谷慶子の論文、『近世の女性相続と介護』では以下のように記されている。

江戸時代中期には、親の扶養問題を中心に据えながら、家族が果たすべき扶助役割のなかに看護や介護を位置づけるようになった。

なかでも一家の主人たる男性の責任は重大であった。主人を中心に家族全員が協力して親を養い介抱する家族像が、期待された。

この背景には、直系親族を中心とした小家族の一般的な成立があり、家族役割の自覚化が強く促されたからである。

幕府と藩は、家族による扶養と看病・介護を規範化して、家族の自助努力を涵養した。これにより扶養と介護の主体としての家族の位置づけがさらに一層強調されるようになる。

ところで当時の高齢者の比率だが、同じ柳谷さんの論文「日本近世の高齢者介護と家族」では以下のごとく書かれている。

18世紀半ばから19世紀前半にかけて、65歳以上の高齢者の割合は10パーセントから15パーセントに上っている。

これは現代と比べて決して少ない数字ではない。

この数字と「家」のイデオロギーが女性を介護に縛り付けたのである。

近世における高齢者比率の予想外の高さは、日本に限ったことではなかった。

イギリスの福祉史研究者パット・セインは、下記のごとく述べている。

産業革命以前のイングランドとウェールズにおいて、60歳以上の人口比率はけっして低くなかった。それは18世紀初頭には10%を越えていた。…両親の介護は娘の逃れるわけにいかない務めの一つであった。

C)介護者の負担への注目

最初に介護問題が取り上げられたのは、1920年代から1940年代のことである。アメリカの労働統計局、スエーデンのミュルダール、ノルウエーのダニエルセンなどがあいついで調査を発表し、介護者対策の必要を訴えた。

61年にはイギリスのティザードらによる『精神障がい者とその家族−社会調査−』が発表された。

調査は住宅事情をはじめ家計の収入と支出、貧困基準との関係、介護に当る母親と父親の健康状態、休日の外出などを含む家族生活への影響などの項目についておこなわれた。以下が結論。

家族の生活水準ははっきりと低く、介護に伴う追加の出費や母親の無業者化などが影響を及ぼしていた。友人や隣人との接触も短く、社会的な孤立さえ生んでいた。一言で言って豊かな社会生活とは程遠い状態にある。

日本では介護保険の導入時に杉澤秀博らによる本格的な学術調査が行われた。その結果、介護者の情緒的な消耗度は、介護保険制度導入後に有意に強くなっていることが示された。

(これはおそらく介護保険導入のためというより、それが患者の病院からの追い出しと在宅押し付けとして実施された結果であろう。従来からの在宅介護者のみを対象にすれば、逆の結論が出るかもしれない)


一言感想

ジェンダー論者は介護問題を女性を家庭の桎梏から解放する課題として捉えている。それはそれで間違いではないのだが、「家」という封建的な桎梏とともに、財政的な問題(安上がりな高齢者対策としての在宅促進)、「貧困の罠」が潜んでいることを忘れてはならないだろう。

そこには「在宅こそが理想、だから親の面倒を見るのは当然」というイデオロギー面でのすり替え攻撃も並行して行われているが、この手口も江戸時代のイデオロギー攻撃と変わっていない。