2,3日目に認知症老人の列車衝突事件について「6つの疑問」という文章を上げた所、いくつかのコメントをいただいた。

とりあえず感想的に述べただけであったので、またその後最高裁判決に至る経過をまとめてみたので、少しまじめにまとめてみたい。

1.認知症をどう受け止めるか

まずは認知症そのものの考え方から。

A) 認知症は治療可能な病気である

1.いまの議論はむかしと同じ

率直に言って、世間の認知症を見る目には誤解と偏見がある。認知症は治療可能な病気である。不治の病ではない。このことをまず踏まえないと、話は煮詰まってしまう。

もちろん、いますぐに治療して治癒可能という訳にはいかない。まだもう少し時間はかかる。

中世のペストに始まり結核、脳卒中、ガン、最近ではAIDSなどがそういう道をたどってきた。

しかしいまこれらのうちかなりの病気は過去の病気になったし、なりつつある。病気そのものは直せなくても、適切な治療でコントロール可能となっている病気も多い。

今度の裁判に対するいろいろなコメントや感想を見ると、認知症は不治の病で仕方ないというペシミズムが支配していることが分かる。

乱暴な人は、認知症なんかまとめてどこかに突っ込んでおけとか、安楽死させろという「意見」を書き込んでいる。

こういう議論はAIDSの時にも出てきたが、いまAIDSについてそういうことを言う人は殆どいないだろう。なぜか、医学が進歩したからである。

2.認知症は今でもかなりの程度までコントロール可能である

認知症は今でもかなりの程度までコントロール可能である。

事故が起きた2007年からまだ10年も経っていないが、認知症の治療は驚くほどの進歩を遂げている。

まず病気の本態がかなり明らかになってきた。

認知症をもたらすアルツハイマー病という病気は脳神経細胞の中に異常な代謝産物が産生され、それを排出できないことから起こる病気である。

おそらくは異常な代謝産物を産生させるような遺伝子異常が引き金になっている。しかし遺伝子が引き金だからといって遺伝性疾患というわけではない。

これで引き起こされる主症状は記憶力の障害である。

だから治療としては此処の遺伝子スイッチを切ってやればよいのである。しかしこれはそう簡単には行かない。

そうすると次に考えるのは、この代謝産物の異常蓄積により働きの落ちた神経細胞を賦活させてやれば良いということになる。つまり脳内活性アミンの補充である。パーキンソン病にDOPAが効くのと同じ理屈だ。

ある意味で「駄馬に鞭打ち」、神経細胞の寿命を縮める結果になるが、幸か不幸かこの病気の患者は老い先短い。4,5年持ってくれればいいのである。


それが最近の抗認知症薬だ。もちろんこれでバッチリというわけには行かず、副作用もある。しかし間違いなく中核症状は改善する。

以上述べた如く、「認知症は治る、あるいはコントロール可能である」という立場に立つか立たないかで、事情は大きく変わってくる。何よりも必要なのは、前向きの姿勢である。

3.認知症は精神疾患としての側面を持っている

もう一つ、市民の意識改革を促したいのだが、認知症は中核症状と周辺症状の複合体だということだ。

周辺症状は、基本的には記憶障害に対する心理的葛藤の過程である。これは拒否、反抗、反応性の鬱、誤った合理化、誤った信念形成などから構築されている。

これらが認知症の心理・行動異常をもたらす。ひっくるめて言えば錯乱・譫妄である。したがって認知症は“錯乱性認知症”と“安定型認知症”に分けて考えなければならない。これは統合失調(分裂病)や双極性障害(躁うつ病)と同じである。

周辺症状は向精神薬でコントロールできる。非定型向精神薬というのが主流でかなり不安感情は抑えられる。

かくして周辺症状が安定すれば十分に在宅治療は可能となる。そういう時代が遠からずくる。そういう立場から病気を見なおすことが求められている。

B) 認知症への誤解が議論を歪めている

認知症を不治の病と見る見方が一種の誤解に基づく偏見であると書いたが、誤解は他にもある。理由はおそらく通俗的な解説が、いかにも誤解しそうな情報をまき散らしているからである。

列挙しておくと、

1.年取ったらみんな認知症になるという誤解

認知症はアルツハイマー病という病気である。老化や他の疾患による記憶力・記銘力の低下とは異なる。それは貧乏くじのようなもので、みんながみんな、なるわけではない。

ここを誤解すると、高齢者の家族はすべからく災難をしょい込むということになり、「お互いさま」という論理に乗っかってしまう。「楢山節考」の世界である。

2.脳力の低下は誰にでも来る

脳力の低下はこれとは違い、基本的には脳のスタミナの低下→意欲の低下→反応の低下として現れる。私はそれを前冬眠状態と考えている。文学的には「涅槃の世界」ということもできる

3.認知症はみんな徘徊するという誤解

安定した認知症への移行は可能である。また落ち着いた認知症は、落ち着いた統合失調と同様に人畜無害である。

多くの人は認知症を彩る周辺症状を認知症そのものと勘違いしている。しかしこれらの多くは抗認知症薬と向精神薬の組み合わせによりコントロール可能である。

問題は服薬の管理である。統合失調の引き起こす事件の多くは無治療、ないし治療中断の下で起こっている。