「徘徊高齢者の列車事故」

事件発生から最高裁判決までの足どり

 

2000年 愛知県大府市で不動産業を営む男性(発症当時84歳)に認知症の症状が現れる。当事者男性は妻(当時78歳)と二人暮らし。長男家族は横浜に住み、長く別居状態にあった。

家族関係
                朝日新聞より

2002年

3月 男性の認知症が一段と進行。家族会議を開き、長男の妻が、男性の介護のために単身で近所に転居。

2007年

2月 要介護4の認定を受ける。妻も「左右下肢の麻ひ拘縮」により要介護1の認定を受ける。施設入居も検討したが在宅介護を選択。

12月 愛知県大府市のJR東海道線共和駅で事故が発生。

当事者男性(死亡時91歳)は現場近くで妻(当時85歳)と二人暮らし。長男の妻が近所に住み介護に入っていた。妻と長男の妻が目を離したわずかな隙に男性は家を離れた。大府駅から列車に乗り共和駅に移動。
そして共和駅ホームの端で無施錠のフェンス扉を開け線路に侵入、列車にはねられた。

2010年

2月 JR東海が監督義務者である遺族に、振り替え輸送などの費用約720万円の支払いを求めて、名古屋地裁に提訴。

民法713条では、「精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に他人に損害を加えた者」を責任無能力者と規定している。
民法714条では、これに対応して、本人を監督する義務がある者は,損害賠償責任を代わりに負うことになる(ただし監督義務を怠っていないことが明らかであれば、免責される)

2013年

8月 名古屋地裁判決(上田哲裁判長)。民法714条の規定に基づき、長男と男性の妻に監督義務者としての賠償責任があると認めた。そのうえで、2人に請求通りの約720万円の支払いを命じた。

1.介護ヘルパーを依頼するなどの措置を取らず、徘徊を防止する適切な措置を講じていなかった。
2.男性の介護体制は、介護者が常に目を離さないことが前提となっており、過失の責任は免れない。

8月 地裁判決に対し、専門家からは「認知症患者を閉じ込めざるを得なくなる」との批判。ほかに、在宅介護という方向への逆流。介護の拒否、監禁容認と独居認知症増加への懸念が示される。

「認知症の人と家族の会」の田部井さんは、判決を「時代遅れ」と批判、被害の社会的な救済制度が必要と訴える。

2014年

2月 長男が会社を退職。横浜市から愛知県大府市の実家近くに移住。母親、妻と同居し家業(不動産屋)を引き継ぐ。

4月23日 NHK、「認知症の人 鉄道事故で64人死亡」と報道。認知症患者の鉄道事故が最近の8年間で76件あり、64人が死亡していたことを明らかにする。

NHKが鉄道会社が国に届け出た鉄道事故の報告書を情報公開請求して分析したもの。

4月24日  名古屋高裁(長門栄吉裁判長)判決。1.長男に監督義務はないとし賠償責任を否定。理由は「20年以上別居しており、監督義務者とはいえない」というもの(経済的な扶養義務はある)。2.妻には監督義務を承認。理由は「夫婦には助け合う義務がある」と定めた民法の別の規定。しかし妻自身が要介護1であるにもかかわらず、その監督能力は問われなかった。

外出を把握できる出入り口のセンサーの電源を切っていたことから、「徘徊の可能性がある男性への監督が十分でなかった」と判断。
ただし「充実した在宅介護をしようと、見守りなどの努力をしていた」として半額に減額する。(それでも360万円!)
判決はさらに長男の妻が横浜市から転居し、共に在宅介護していた点を評価。JRが駅で十分に監視していれば事故を防止できる可能性があったとも指摘する。(これが精いっぱいなのだろうか?)

4月24日 遺族は「十分に介護に努めていたと考えるので、判決には納得できない」とし、最高裁に上訴。

遺族側の弁護士は報道陣の取材に対し、「今の社会では、認知症の患者の保護について、家族だけに責任を負わせるのではなく、地域で見守る体制を築くことが必要だと思われるが、判決はその流れに逆行するものだ」と語る。

4月25日 産経新聞、『徘徊事故 多くが和解「訴訟は珍しい」』と題する記事を掲載。遺族の弁償を当然視する報道。

要旨: JRなど鉄道各社は、線路や駅ホームへの立ち入りによる死亡事故について、損害額の賠償を遺族らに請求するのが通例となっている。その際、認知症などの病気に起因しているかどうかは問わない。
 賠償額には振り替え輸送の費用や人件費だけでなく、列車の運休による機会損失費、設備の修理費などが含まれる。

各社の請求
2015年

11月 最高裁、当事者弁論の開催を通告。「責任能力がない人が起こした不法行為に、親族の監督義務がどこまで及ぶのか」をめぐり、高裁判決の見直しに動く。

2016年

最高裁第三小法廷(判事は5人、裁判長は岡部喜代子判事)での審理が始まる。妻側は85歳だった妻に監督能力は問えないとし、免責を主張。JR東海側は「介護に責任を持っていた長男が、実質的な監督義務者だ」とし、改めて長男の責任を問う。

2月 最高裁で上告審弁論が行われる。弁論は結論を変更する際に開かれるため、高裁判決の見直しが確定。

3月 最高裁、5判事の全員一致で「家族には責任なし」とする判決。「家族だからと一律に監督義務を負うわけではなく、生活状況や介護の実態を総合的に考慮すべきだ」と判断。

監督義務に関する判断: 妻は同居する配偶者であり介護者ではあるが、民法714条の「監督義務者」には該当しないとする。長男については判事3人が「非該当」、2人が「該当するが、但し書きにより免責」とする。
扶助の義務と監督義務: 民法752条の夫婦の同居・協力・扶助の義務は民法714条の監督義務者と認める根拠とはならない。(扶助義務と監督義務は異なる)。成年後見人の身上配慮義務は、介護や監督義務まで求めていない。


なお2チャン情報では(おそらくその筋のリークであろうが)家族への誹謗情報が繰り返し、繰り返し流されている。当然ながらソースは示されていない。


1.この男性は資産家で、多額の不動産やら5千万以上の預金があり、妻と長男が相続している。
2.長男がJR東海に対し賠償を求め、JR側が対抗措置として逆提訴した。

もう一つの繰り返される論理が、鉄道会社を一私人とし、その被った被害は埋め合わされるべきであるという、一私人の限りでは当然の主張を強調したうえで、「だから遺族は弁償すべきだ」持っていく論理のすり替えである。

これは生活保護の受給問題でも繰り返し用いられた「八つ当たりの論理」である。これは朝日裁判以来おなじみの手口で、義理・人情と絡めて情緒的に攻めてくるだけに反論するのは厄介である。

ただ最高裁も認識しているように、これからの少子・超高齢化社会では「家」の論理(民法が依拠する)は、その根拠となる「家」が崩壊する中で、もはや通用しなくなっているし、これからますます通用しなくなるはずだ。

したがって監督責任や介護責任は社会的に考えなければならなくなっている。むしろ名古屋郊外で不動産屋さんとして一家をなしている今回のケースのような場合のほうが例外となるだろう。