言葉が分かったところで、今度はゲノム研究の歴史。

中身はちんぷんかんぷんだが、例によって年表形式で
(2017.6.03 第1回目の増補)
(2017.7.26 第2回目の増補)

1920年 ドイツの植物学者ハンス・ウィンクラーがゲノムなる言葉を造語する。これはGene(遺伝子)とChromosome(染色体)をあわせたもので、ヒトゲノム・プロジェクトにおける「ゲノム」とは意味が異なるもの。

1952年 インシュリンの完全なアミノ酸配列が解明される。

1953年 ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造のモデルを定期。

1956年 DNAポリメラーゼが発見される。この酵素の働きによりDNAが元のDNAの鋳型から作られることが明らかになる。

1960年 核酸塩基の一つアデニンが、青酸アンモニウムの濃縮溶液から生成される。

1961年 アミノ酸が塩基3つの組み合わせ(コドン)でコードされていることが明らかになる。

1961年 DNA情報をリボゾームに伝えるmRNAの存在が明らかになる。

1962年 ツメガエルで卵に細胞核を移植し、クローン作成に成功。

1970年 塩化カルシウム処理した大腸菌の細胞内にファージDNAを導入することに成功。トランスフェクションと呼ばれる。

1971年 制限酵素を使ってDNAを切断、断片化し、DNA断片の物理的配列を組み立てることに成功。

1972年 ベクターDNA分子と外来DNA断片の末端に、ホモポリマーを付加する事によって、DNA分子を結合する方法が開発される。

1974年 RNAレプリカーゼの存在下で、ヌクレオチド・モノマーからRNAが生成することを発見。別の研究でRNAはRNAレプリカーゼの存在なしで複製することができること、このとき亜鉛が複製過程を補助することが示された。

1975年 サンガーら、DNAポリメラーゼを用いて、 DNAに結合したプライマーからDNA合成を行わせて塩基配列を決定する方法を開発。

1976年 異種遺伝子を大腸菌の中で発現させることに成功。最初はヒト成長ホルモン、78年にはインシュリンの量産に成功。

1977年 サンガー、DNA塩基配列決定に酵素反応を用いた解読装置を開発。ジデオキシ法と呼ばれる。ジデオキシ・ヌクレオチドはDNA鎖に取り込まれるが、その先の反応が進まず(ターミネータ)、DNA合成がストップする。これをゲル電気泳動にかけてオートラジオグラフから配列を読み取る。サンガーらはこれを用いて PhiX174ウィルスの全塩基配列を解析し、全ゲノムを確定した。

77年 ノーザン・プロッティング法が開発される。
78年 カン、DNA解析を用い
鎌状赤血球症の出生前診断に成功。
78年 バーンスタイン、制限酵素によって切断されたDNA断片の再マッピングにより、全ゲノムの解析が可能だと主張する。

80年 DNAマーカーを利用した遺伝子マッピング法が開発される。さらに核酸プローブを利用して遺伝子を染色体上に正確に同定することも可能になる。

81年 ヒトミトコンドリアの全ゲノム配列(17,000塩基)が決定される。

82年 米国生物工学情報センターによる塩基配列のデータベース(GenBank)の作製が始まる。日本DNAデータバンク(DDB)もプロジェクトに参加。

83 ガゼラ、DNAのポジショナル・クローニングによりハンチントン病の遺伝子主座が第4染色体のG8領域にあることを発見。CpGアイランドと名付ける。その後この部分に塩基配列の過誤が発見される。

84年 パルスフィールド電気泳動が導入される。大きなゲノム断片を分離することが可能になる。

85年 PCR法(ポリメラーゼ連鎖反応法)の応用が始まる。DNAの大量複製によりDNAの同定、鑑別が可能になる。

86年 がんウイルスの研究者レナート・ダルベッコ,サイエンス誌に「ヒトゲノム解析計画」への支持を表明。「個々の遺伝子をばらばらに研究するのではなく,ヒトのゲノム全体を研究することが必要だ。そのためにヒトゲノムの配列を全部決定するのが早道」と提唱。

86年 蛍光検出法が開発される。塩基を蛍光物質でラベルしレーザー光で検出するもの。この方法にもとづく全自動高速DNAシーケンサが開発される。オートラジオグラフィー操作が不要となり、速度が数百倍に向上。

87年 酵母人工染色体(YAC)が開発される。これを用いてゲノム断片をクローニング(塩基配列決定)することが可能になる。

88年 電気泳動をゲル状ではなく細管内で行うマルチキャピラリシステムが開発される。これを組み込んだDNAシークエンサーは泳動のための準備が不要で、無人で24時間稼働させることが可能となる。

88年 アメリカでヒトゲノムプロジェクトが正式に発足。この時点で約400種の遺伝子の位置が判明していた。

89年 ヒトゲノム計画の国際連携を図るため、日米欧の研究者によりヒトゲノム国際機構(HUGO)が設立される。

89年 マイクロサテライトマーカーが発見される。これによりゲノムマッピングのためのDNAマーカーが容易に入手可能となる。
90年10月 ヒトゲノム解析プロジェクトの開始。当初は30億ドルの費用と15年の年月が予想された。

91年 遺伝子データベースのコンピュータによる運用が開始される。この頃多くの疾患関連遺伝子が同定される。

94年 フランスのヒト多型研究所、完全なヒトゲノムマップを作成したと報告する。ヒトゲノムの全体を網羅する「物理地図」がほぼ完成,文字配列の解読が詰めの段階に入る。
94年 ベンターら、独自の方式で3万以上のヒト遺伝子を同定。「ネイチャー」誌に発表する。

95年 米国のクレグ・ヴェンターら,全ゲノムショットガン法により、180万塩基からなるインフルエンザ菌ゲノムの解読に成功。あらゆる生物で初めて全ゲノム配列が確定される。その後大腸菌や枯草菌など10種類以上の細菌でも解明される。

95年 核酸プローブの高密度アレイを利用するDNAチップが登場。膨大な遺伝子を同時かつ系統的に解析することが可能になる。

96年4月,単細胞の出芽酵母のゲノム配列が決定される。

97年 ユネスコ,「ヒトゲノムおよび人権に関する世界宣言」を採択。ゲノム研究で得られた知識の扱いについて倫理的な問題が浮上する。

98年 多細胞生物として初めて線虫の全ゲノム配列が発表される。単細胞から多細胞への進化の謎にアプローチ可能となる。また受精卵から個体へという動物の個体発生についても手がかりとなる。

98年4月 ベンター,全ゲノムショットガンで1億2000万塩基からなるショウジョウバエゲノムの全ゲノムを解読。新型のDNAアナライザー「ABI PRISM3700」が導入され、飛躍的に解析がスピードアップされる。
98年5月 ベンターが「セレラ・ジェノミクス」社を設立。人の全ゲノムを3年以内に、3億ドル以下で解読すると宣言。

6月 結核菌の全ゲノム配列が決定される。遺伝子の総数は約4000個で,その8割以上についての機能も予測される。

99年9月 ヴェンターら、ヒトゲノムの塩基配列を、全ゲノムショットガン法で読みとる作業を開始。まもなくヒトの第22番染色体のゲノムが解明された。翌年には第21番染色体のゲノムも解明。

00.6.26 クリントン大統領が記者会見。ベンターとNIHのコリンズが不和に陥ったため、クリントンが仲裁に入ったもの。「ヒトゲノムの解読が基本的に完了」と発表したが、NIHはまだ90%段階に留まっていた。

2001年2月 ヒトゲノムの全解読結果の「第1予稿」(ドラフト)がネイチャー誌に発表される。この時ベンターは99%成功していたという。

2003年 全ヒトゲノムの解読が完了。完成版が公開される。

2003年 大腸菌のDNA合成機構を利用して、ウイルスのDNA断片をつなぎ合わせ完全なゲノムを合成することに成功。

2007年 酵母菌を利用してDNAの断片をつなぎ合わせて、マイコプラズマ・ジェニタリウムという細菌のゲノムを構築することに成功。

2010年 人工ゲノムの細菌への導入に成功。初の合成生命が誕生する。

2015年 中国で「ゲノム編集ツール」を使ってヒト胚のDNAを改変する研究が行われる。ネイチャー誌は「非倫理的研究だ」として厳しく警告。


ゲノム編集: これはDNAの二本鎖切断(DSBs)と、その修復という二つの過程よりなる。
標的へのターゲティングとDNA切断にはCRISPR-Cas あるいはTALENが用いられる。
修復には二つのパスがあり、相同性組換え(HR)あるいは非相同性末端結合(NHEJ)と呼ばれる。 非相同性末端結合においては、いやおうなく欠損が生じるため、対象となった不良遺伝子はノックアウトされる。