言葉が分かったところで、今度はゲノム研究の歴史。

中身はちんぷんかんぷんだが、例によって年表形式で

(2017.6.03 第1回目の増補)
(2017.7.26 第2回目の増補)
前回増補から5年が過ぎた。分かったことの倍くらい新たに分からないことが出てきた。それも含めて年表に突っ込む。言葉の説明を入れて多少わかりやすい年表にした。「史観」のない年表なのでこのまま膨らませると、バベルの塔になってしまう。今後は技術の革新、重要な発見、ゲノム学の柱となる「理論」、の順に重みを付けて行くことにしたい。遺伝学、免疫学的分野のイベントは、少し刈り込みを入れたい。
(2022.11.04 第3回目の増補)

ここから始まります。

1865 メンデルがエンドウの交配実験を行い。遺伝子を想定する。
遺伝を決めるものは、混じり合わない粒子である「遺伝子」概念の確定。
遺伝子は優性と劣性に分かれ、それぞれが二つづつの対になっている。
劣性遺伝の表現型は1代目では消失し、2代目で再現することがある。(分離の法則)

これは劣性遺伝子が、「隠されるが混じり合わない」ということを意味する。

1900 ドイツ医学界でメンデルの法則が発掘され再評価される。

1902 25歳の大学院生サットン(米)、バッタの生殖細胞で「染色体」を発見。生物が減数分裂すること、染色体が遺伝の座であることを主張。メンデルの遺伝の法則を再評価。その後彼は研究から離れて外科医となる。

1911年 コロンビア大学のトマス・モーガンらがショウジョウバエの染色体を研究。染色体上に多くの遺伝子が載っていることを証明する。

1920 ドイツの植物学者ハンス・ウィンクラーがゲノムなる言葉を造語する。ウィンクラーはバリバリのナチス。学的業績はとくにない。
「遺伝子・gene+総体・-ome」という意味であろう。遺伝子(gene)+染色体(chromosome)という解釈もあるが、これでは意味が通じない。木原の「配偶子が持つ染色体セット」に至っては禅問答だ。現代の用法は「総体」=機能に重点を置くことで遺伝子やDNAとの差別化を図っている。

1928 グリフィス、有毒肺炎球菌を加熱して、無毒菌に加えると有毒菌に転化することを発見。有毒菌の耐熱残存物が無毒菌を有毒化させたと主張。(遺伝子が耐熱性であることを証明した実験でもある)

1937 細菌と藍藻を含む生物のグループを原核生物 (prokaryotes) と名づけ、その他すべての生物を真核生物 (eukaryotes) と名づけて、両者の間には根本的な違いがあることを述べた。

1941 免疫蛍光法が開発される。細胞上で抗体に反応する特殊な部位の存在を示した。

1943 A. Claude、リボソームを単離する。

1944 O.T. Averyら、グリフィスの実験をさらに工夫。耐熱残存物の本体がDNAであることを証明した。さらにDNAが遺伝する化学的物質であると示唆した。肺炎双球菌の形質転換の原理を記述した。

1950 E. ChargaffDNAAT、およびGCの間が水素結合によって結ばれ二つのポリヌクレオチド鎖が向き合っていることを示唆した。

1951 Y. Chiba、葉緑体にDNAが存在することを証明。

1952 F. Sanger ら、インシュリンの完全なアミノ酸配列を解明。これによりタンパク質がアミノ酸の連結したものであることが確定された。

1952 D.M. Brownら、DNARNA3'-5'で連結されたポリヌクレオチドであることを証明。
核酸は五炭糖、リン酸および塩基から成るポリヌクレオチドである。五炭糖にはD-リボースとデオキシ--リボースの2種があり、それぞれRNADNAとなる。塩基にはA,G,C,U,T5つがある

1953 J.D. Watson F.H.C. Crick2重らせん鎖から成るDNAの模型を提唱。

1954 輸血を受けた患者の中には、他人の白血球抗原に対する抗体を産生することが発見。HLA抗原と定義される。ここからヒト組織適合性の定義が導かれた。

1954 20億年以上前の堆積岩に微生物の化石を発見。原生代に生命が存在した証明となる。

1956 コーンバーグによりDNAポリメラーゼが発見される。ヌクレオチドを重合することによりDNAを合成する。大腸菌のDNAポリメラーゼは5種類、ヒトの細胞は約15種類ある。この発見により、DNAが元のDNAの鋳型から作られることが明らかになる。

1956 DNAポリメラーゼを用い、試験管内でのRNAおよびDNAの合成に成功

1957 クローン選択説が発表される。抗体を産生する細胞が抗原によって刺激され、増殖し、集団 (クローン) を形成し,抗体を合成するという免疫過程。自己抗原に対するクローンは胎生早期に禁止される。オーストラリアの F.M.バーネットが提唱した。
1956
 タバコモザイクウイルスRNAに関する研究。化学的には純粋な核酸であるが、感染力があり、遺伝的能力をもつことが証明される。

1958 CrickmRNA翻訳の際、アミノ酸がヌクレオチドを含むアダプター分子によって鋳型に運ばれること、アダプターがmRNAと相補していることを示唆し、 tRNAtrnsfer:運び屋) の存在を予言する。

1958 クリックがセントラルドグマ(Central dogma)を提唱。遺伝子は(世代交代ではなく)タンパクを作るための情報として位置づけられる。

1959 リボソームがタンパク質合成の起こる場であることが証明される。リボゾームは粗面小胞体の膜の表面に付着した小さな顆粒。細胞1個は約2万個のリボゾーム粒子をもつ。分裂の盛んな胎生期の未分化細胞には遊離のリボゾームが多い。
1959
 E. FreeseDNAの一対の塩基対の変化により突然変異が起こると提唱。トランジション(塩基転位)およびトランスバージョン(塩基転換)と名付ける。

1960 DNAの二重鎖が分離・再結合することが発見される。

1960 核酸塩基の一つアデニンが、青酸アンモニウムの濃縮溶液から生成される。
1961
 JacobMonod、タンパク合成の制御機構について論究、オペロン説を展開する。リボソームはDNAに対する鋳型を持たず、mRNAから情報を受けると提唱。

1961 Crickら、遺伝暗号(コドン)の解読。アミノ酸20 種類の情報をつたえる遺伝子が三連文字(triplet)であることを示す。

 mRNAの塩基配列をコドンという。1 つのアミノ酸は mRNA の連続した塩基 3 1 組の配列によって規定され、この 3 1 組の塩基配列をコドンと呼ぶ。従って、コドンは 43 = 64 種類存在する。

1962年 ツメガエルで卵に細胞核を移植し、クローン作成に成功。

1962 リンパ球にT細胞とB細胞の差があることが発見される。。

1962 Watson and CrickDNAの構造に関する研究により、ノーベル医学生理学賞を受賞。

1962 葉緑体がDNAをもっていることを発見。(後に葉緑体は多細胞生物内に共生するシアノバクテリアであることが明らかになる)

1964 ミトコンドリアDNAが単離される。核DNAとは独立した遺伝形式をとることが判明。

1965 ヒトの二倍体細胞の in vitro の寿命は、およそ50回分裂までで終了することが発見される。

1965 S. Brennerら、ポリペプチドの末端を指示する暗号(コドン)はUAGUAAであると推論。

1966 脊椎動物のDNAは多くの反復ヌクレオチド配列を含むことがわかる。

1966 tRNAが、リボソーム上でのポリペチド鎖形成の起点となっていることが発見。

1967 羊水穿刺を行い、そこから得られる胎児の細胞で、遺伝病を診断できることが報告。

1967 mRNAが両側のDNA鎖から生じることが明らかになる。

1968 Okazakiら、新しく合成されたDNAは多数の断片を含む。これらは、短鎖DNAとして合成された後、互いに連結される。

1968 Hubermanら、哺乳類の染色体は、おのおの長さ30μmの単位より成り、独立して複製されることを明らかにする。

1969 R.I. Huebnerら、「がん遺伝子説」を発表。
1969
 J.G. Gallら、特定のヌクレオチド配列の細胞内局在を明らかにするハイブリッド形成法を開発。

1970 酵母のアラニンtRNA遺伝子の全長の合成に成功。

1970 M. Mandelら、塩化カルシウム処理した大腸菌の細胞内にファージDNAを導入することに成功。トランスフェクションと呼ばれる。

1971 制限酵素を使ってDNAを切断、断片化し、DNA断片の物理的配列を組み立てることに成功。

1972 ベクターDNA分子と外来DNA断片の末端に、ホモポリマーを付加する事によって、DNA分子を結合する方法が開発される。
1972
 ユーグレナの葉緑体DNAが、シアノバクテリアのリボソームRNAと相同性を示すことを発見、葉緑体がシアノバクテリアの子孫であることを示した。
1973
 ショウジョウバエの翅の成虫原基で、発生過程に従った区画化が起こることが発見される。

1974 RNAレプリカーゼの存在下で、ヌクレオチド・モノマーからRNAが生成することを発見。別の研究でRNARNAレプリカーゼの存在なしでも複製することができること、このとき亜鉛が複製過程を補助することが示された。

1974 大腸菌rRNA3'末端にmRNA上のタンパク質合成の停止と開始コドンが存在することが判明。

1974 熱ショックにより、ショウジョウバエに6種の新しいタンパク質が合成されることが報告される。

1974 酵母ミトコンドリアでゲノムの組換えと分離が起きることが明らかとなる。両親由来のmtDNAが他方と対合し、組換え体を生じる。

1975 DNAポリメラーゼを用いて、 DNAに結合したプライマーからDNA合成を行わせて塩基配列を決定する方法を開発(サンガーら)。DNAシークエンシング法と言われる。
1975
 モノクローナル抗体の作製に成功。

1975 分子生物学者が世界中からカリフォルニア州アシロマに集まり、組換えDNA実験を行うにあたっての研究指針を定めた歴史的規定書を作成した。

1975 NIH組換えDNA委員会は、組換えDNA研究に伴う潜在的危険性を排除することを目的とした指針を発表。

1976 遺伝子工学のGenentech会社が設立される。

1977  rRNA中に介在配列が存在することを報告。その後、タンパク質をコードしている遺伝子にも、タンパク質をコードしない介在配列が存在することが報告される。

1977 離れて存在するDNA断片から選択的スプライシングが起こり、多種類のmRNAが合成されることが分かる。

1977 サンガーらが酵素反応を用いたDNA配列決定法を開発。ジデオキシ・ヌクレオチドはDNA鎖に取り込まれるが、その先の反応が進まず(ターミネータ)、DNA合成がストップする。これをゲル電気泳動にかけてオートラジオグラフから配列を読み取る。サンガーらはこれを用いて PhiX174ウィルスの全塩基配列を解析し、全ゲノムを確定した。

1977 哺乳動物のインスリン、インターフェロンを細菌で合成させることに成功。

1977 RNA中にイントロン(介在配列)が存在していることが報告される。その後、遺伝子領域にも、タンパク質をコードしない介在配列の存在が報告された。

1977 アデノウイルス-2DNA断片から、多種類のmRNAが合成されることが報告。現場でさまざまな組み合わせの選択的スプライシングが起きていると判断される

1977 ノーザン・プロッティング法が開発される。
1978
 カン、DNA解析を用い鎌状赤血球症の出生前診断に成功。
1978
 バーンスタイン、制限酵素によって切断されたDNA断片の再マッピングにより、全ゲノムの解析が可能だと主張する。
1978
 R.M. Schwartzら、原核生物、真核生物、ミトコンドリア、葉緑体に由来するさまざまな、タンパク質と核酸の配列データを比較。コンピュータ解析によって進化の系統樹を作成する。これにより真核生物が、ミトコンドリアや葉緑体と共生し始めた年代を、それぞれ二億年および一億年前と決定した。

1978  W. Gilbert、イントロンおよびエクソンという用語を提唱。

1978 T. Maniatisら、遺伝子の単離法を開発。真核生物DNAの遺伝子ライブラリー作成に着手。

1978 D.J. Finneganら、ショウジョウバエのゲノム上に散在している反復DNAの詳細な解析を行う。

1980 米国最高裁判所は、遺伝学的に修飾された微生物の特許を法制化。これに基づきGE社は石油の油膜を分解する微生物の特許を取得。

1980 受精卵にクローン化した遺伝子を直接注入することで、初めてトランスジェニックマウスの作成に成功。

1980 DNAマーカーを利用した遺伝子マッピング法が開発される。さらに核酸プローブを利用して遺伝子を染色体上に正確に同定することも可能になる。

1981 ヒトミトコンドリアの全ゲノム配列(17,000塩基)と遺伝子構造が決定される。
1981
 L. Margulis、「ミトコンドリア、葉緑体などは、真核生物の祖先に共生体として組み込まれた原核生物である」と提唱。
1981
 bhGHの臨床験がはじまる。1976にはGH遺伝子を79年にはhGH遺伝子を、大腸菌の中で発現させることに成功していたが、生物学的活性を発現させるための工夫が必要であった。

1981 ラウス肉腫ウイルスの腫瘍化を起こす性質は、v-src 遺伝子によってコードされていることを示した。

1982 Eli Lilly 社、組換えDNA技術を用いて製造したヒトインシュリンを販売開始。

1982 米国生物工学情報センターによる塩基配列のデータベース(GenBank)の作製が始まる。日本DNAデータバンク(DDB)もプロジェクトに参加。

1983 ガゼラ、DNAのポジショナル・クローニングによりハンチントン病の遺伝子主座が第4染色体のG8領域にあることを発見。CpGアイランドと名付ける。その後この部分に塩基配列の過誤が発見される。
1983
 SV40のがん遺伝子、v-sisは、血小板由来増殖因子(PDGF) 遺伝子に由来することが分かる。

1984 パルスフィールド電気泳動が導入される。大きなゲノム断片を分離することが可能になる。
1984
 ショウジョウバエのホメオティック遺伝子におけるホメオボックス配列が、マウスにも存在することを示した。この事実はDNA断片の基本的な機能の重要性を示す。
1985
 Randallら、遺伝子断片を増幅させるポリメラーゼ連鎖反応(PCR)を応用。DNAの大量複製によりDNAの同定、鑑別が可能になる。
1985
 遺伝暗号は普遍であるという考えが修正された。"普遍暗号"では終止コドンに相当するものが、ある種の線虫や細菌では、アミノ酸をコードしている(使いまわし)。
1986
 螢光シークエンサーの開発。塩基を蛍光物質でラベルしレーザー光で検出するもの。オートラジオグラフィー操作が不要となり、速度が数百倍に向上。全自動かつ高速の検出装置が普及しゲノム解読の自動化と効率化がすすむ。

1986 がんウイルスの研究者レナート・ダルベッコ,サイエンス誌に「ヒトゲノム解析計画」への支持を表明。「個々の遺伝子をばらばらに研究するのではなく,ヒトのゲノム全体を研究することが必要だ。そのためにヒトゲノムの配列を全部決定するのが早道」と提唱。

1987 酵母人工染色体(YAC)が開発される。これを用いてゲノム断片をクローニング(塩基配列決定)することが可能になる。
1987
 ミトコンドリアDNAについて塩基配列の相違を比較した。構築された系統樹によると、現存するすべてのミトコンドリアDNAは、原史のアフリカ女性「イブ」を共通祖先としていることが示された。
1988
 電気泳動をゲル状ではなく細管内で行うマルチキャピラリシステムが開発される。これを組み込んだDNAシークエンサーは泳動のための準備が不要で、無人で24時間稼働させることが可能となる。

1988 アメリカでヒトゲノムプロジェクトが正式に発足。この時点で約400種の遺伝子の位置が判明していた。
1988
 ハーバード大学が、実験的発癌マウスに対する特許を取得。遺伝的に改変した動物に対して、初めて特許が認められる。

1989 ヒトゲノム計画の国際連携を図るため、日米欧の研究者によりヒトゲノム国際機構(HUGO)が設立される。

1989 マイクロサテライトマーカーが発見される。これによりゲノムマッピングのためのDNAマーカーが容易に入手可能となる。
1990
 ヒトゲノム解析プロジェクトの開始。当初は30億ドルの費用と15年の年月が予想された。

1990 ヒトで初めて遺伝子治療に成功。欠損酵素を持つレトロウイルスのベクターを培養し、形質転換細胞を患者に再注入。細胞は増殖し欠損酵素を産生した。

1990 D. Malkinら、ヒトのすべてのガンの50%p53変異があることを明らかにした。また野生型p53遺伝子がヒトのガン細胞の増殖を抑えることを示し た。

1991 遺伝子データベースのコンピュータによる運用が開始される。この頃多くの疾患関連遺伝子が同定される。

1994 フランスのヒト多型研究所、完全なヒトゲノムマップを作成したと報告する。ヒトゲノムの全体を網羅する「物理地図」がほぼ完成,文字配列の解読が詰めの段階に入る。
1994
 ベンターら、独自の方式で3万以上のヒト遺伝子を同定。「ネイチャー」誌に発表する。

1995 米国のクレグ・ヴェンターら、全ゲノムショットガン法により、180万塩基からなるインフルエンザ菌ゲノムの解読に成功。あらゆる生物で初めて全ゲノム配列が確定される。その後大腸菌や枯草菌など10種類以上の細菌でも解明される。

1995 核酸プローブの高密度アレイを利用するDNAチップが登場。膨大な遺伝子を同時かつ系統的に解析することが可能になる。

1996 単細胞の出芽酵母のゲノム配列が決定される。

1995 インフルエンザ菌の全塩基配列を完成。引き続きマイコプラズマも。

1996 古生物Methancoccus Jannaschiiのゲノム解析。ほとんどの遺伝子は、他の生物と共通していなかった。

1996 ホメオボックス蛋白は、特定のmRNAの標的配列に結合して、翻訳をコントロールすることが示される。

1997 ユネスコ,「ヒトゲノムおよび人権に関する世界宣言」を採択。ゲノム研究で得られた知識の扱いについて倫理的な問題が浮上する。

1998 多細胞生物として初めて線虫の全ゲノム配列が発表される。単細胞から多細胞への進化の謎にアプローチ可能となる。また受精卵から個体へという動物の個体発生についても手がかりとなる。
1997
 クローン羊ドリー誕生

1998 ベンター,全ゲノムショットガンで12000万塩基からなるショウジョウバエゲノムの全ゲノムを解読。新型のDNAアナライザー「ABI PRISM3700」が導入され、飛躍的に解析がスピードアップされる。
1998
 ベンターが「セレラ・ジェノミクス」社を設立。人の全ゲノムを3年以内に、3億ドル以下で解読すると宣言。

1998 結核菌の全ゲノム配列が決定される。遺伝子の総数は約4000個で,その8割以上についての機能も予測される。

1999 ヴェンターら、ヒトゲノムの塩基配列を、全ゲノムショットガン法で読みとる作業を開始。まもなくヒトの第22番染色体のゲノムが解明された。翌年には第21番染色体のゲノムも解明。

2000 クリントン大統領が記者会見。ベンターとNIHのコリンズが不和に陥ったため、クリントンが仲裁に入ったもの。「ヒトゲノムの解読が基本的に完了」と発表したが、NIHはまだ90%段階に留まっていた。
2000
 リボソームの構造解析。

2001 ヒトゲノムの全解読結果の「第1予稿」(ドラフト)がネイチャー誌に発表される。この時ベンターは99%成功していたという。

2003 全ヒトゲノムの解読が完了。完成版が公開される。約30億塩基対、22千個の遺伝子が存在することが確認される。

2003 大腸菌のDNA合成機構を利用して、ウイルスのDNA断片をつなぎ合わせ完全なゲノムを合成することに成功。
2005
 次世代型シークエンサーの普及。
2006
 マウスiPS細胞の樹立(山中伸弥)

2007 酵母菌を利用してDNAの断片をつなぎ合わせて、マイコプラズマ・ジェニタリウムという細菌のゲノムを構築することに成功。

2010 人工ゲノムの細菌への導入に成功。初の合成生命が誕生する。

2012 CRISPER/Cas9システムの開発

2015 第3世代型シークエサ-の普及。これにより主要な生物種のゲノム解読はほぼ終了。

2015 中国で「ゲノム編集ツール」を使ってヒト胚のDNAを改変する研究が行われる。ネイチャー誌は「非倫理的研究だ」として厳しく警告。

ゲノム編集: これはDNAの二本鎖切断(DSBs)と、その修復という二つの過程よりなる。標的へのターゲティングとDNA切断にはCRISPR-Cas あるいはTALENが用いられる。修復には二つのパスがあり、相同性組換え(HR)あるいは非相同性末端結合(NHEJ)と呼ばれる。 非相同性末端結合においては、いやおうなく欠損が生じるため、対象となった不良遺伝子はノックアウトされる。

2022 ヒトゲノム完全解読

参照文献

遺伝学電子博物館のサイトから遺伝学年表