北海道における中国人の強制労働

まず、数字から明らかにしていかなければならないだろう。日中友好協会北海道連合会の資料から引用する。

1.中国人38,939名が日本に連行され各地の事業所で奴隷労働を強いられた。

2.強制連行は1943年4月から1945年5月にかけて行われ、強制労働は終戦まで行われた。強制連行が5月で終了したのは海上輸送が困難になったためである。

3.中国人の強制労働を行ったのは全国135の事業所であった。北海道では58事業所に16,282名の労働者が配置された。これは全体の42%にあたる。

4.その労働が如何に過酷であったかは死亡率を見れば一目瞭然である。全国では6,821名が死亡した。死亡率は17.5%に達する。このうち北海道では3,047名が死亡、死亡率は18.7%となる。

死亡率20%以上の事業所を上げておく。2015年3月15日 中国人殉難者全道慰霊祭で発表された数字のようである。慰霊祭には道知事はじめ各地の首長が賛同していることから、公式な数字と見て良いだろう。

事業場 連行人数 死亡者数 死亡率
1 北炭・空知天塩 300 136 45.3
7 伊藤・置戸 499 104 20.8
12 地崎・東川 338 88 26
13 三井・芦別 684 245 35.8
14 川口・芦別 600 278 46.3
15 鉄工・美唄 415 91 21.9
17 三井・美唄 597 163 27.3
20 川口・上砂川 299 86 28.8
25 鉄工・神威 391 115 29.4
26 川口・豊里 200 52 26
39 三菱・大夕張 292 84 28.8
40 地崎・大夕張 388 148 38.1
41 鉄工・室蘭 439 127 28.9
42 川口・室蘭 969 309 31.9
43 港運・室蘭第一 147 31 21.1
44 港運・室蘭第二 99 29 29.3
45 港運・室蘭第三 202 67 33.2
47 北炭・平和角田 294 76 25.9

総  計 20,430
実数
16,282
3,047 18.7

かなり死亡率にばらつきはあるので、会社のトップだけの責任ではなく、現場の指揮者も積極的に関わったうえでの数字だと思う。「鬼畜米英」と叫んでいた連中こそが、まさに「鬼畜」であった。
この表につけられたコメントを転載しておく。

太平洋戦争開始後約1年たった1942年11月27日、時の東条内閣は日本国内の重労働に従事する労働力の不足を補うために、中国人を強制連行することを きめました。この方針によって、中国の河北、河南、山東、山西など十数省から一般住民および軍事俘虜が日本に連行され、苛酷な強制労働に従事させられまし た。
 その数は、少なくとも、41,762名と考えられ、このうち乗船した数は38,939名です。
 北海道には、16,282名が、58の事業場に連行され、その配置総数は20,430名です。その内死亡者は3,047名で死亡率は18.7%にも達し ています。これは当時の日本人の死亡率1.631%にくらべると、恐るべき数字であることが分かります。しかもこれは、わずか1年ほどの間のことですか ら、もし戦争が長引いていたら、連行された中国人はおそらく全滅したと思われます。

これは「労働」の名に値しない。「皆殺しの苦役」だ。

巷間、慰安婦問題のみがかまびすしいが、率直に言えば、そちらのほうを大声を上げることによって、これら強制連行と強制労働、事実上の大量虐殺についての事実を覆い隠そうとしているのではないかとさえ思ってしまう。

それは契約に基づく「自由労働」ではなかった。「労働者」は使い捨てのおしめであった。日本の会社側に「労働者」のことを思いやる心は皆無だったことを覚えておこう。