認知症の薬がたくさん出されている。

これまでは老健施設の担当だったので、まったく勉強する必要がなかった。申し訳ないが抗認知症薬は入所の時点でばっさり切っていたからである。

実際のところ切っても大きな変化はなかった。精神症状があればそれは周辺症状と割り切って向精神薬で対応していた。

しかし老健の担当を外れ、特養やグループ・ホームなどの利用者をケアするようになると、抗認知症薬がそれなりに効いていることがわかり、自らの不明を恥じているところである。

効いているというのはちょっと語弊があって、要するに中核症状か周辺症状かは分からないが、抗アセチルコリン・エステラーゼ薬がかなり老人の認知障害を臨床的に修飾する可能性があるということであろう。

同時にかなり副作用もあって、認知症患者の現状が抗認知症薬によってもたらされている可能性もあることが分かった。

また先発薬であるアリセプトと後発のレミニールにはかなり使い勝手の違いがあることも分かった。

お恥ずかしいことだが、とりあえず抗認知症薬の使い分けについてまとめておくことにする。


アルツハイマー病の勉強をしたときにも触れたことだが、現在使われている抗認知症薬は病気の原因に迫るような薬剤ではない。

端的に言えば使ってみたら効いたというレベルの薬である。

長期的に見て良いかどうかも分からない。ただ認知症の患者さんに「長期」もへったくれもないのであって、1年でも2年でもそれなりに効いてくれればよいのだ。後は野となれ山となれだ。

一番困るのは変に効くことであって、効かなければ効かないで副作用がなければそれで良い。困るのはどういう変化が効果で、どう変化が副作用なのかの判定が難しいことだ。

この辺は現場に判断してもらうしかない。ところが困るのは「現場の声」が必ずしも一致しないことである。ある患者が抗認知症薬を飲み始めた、数週間してから明らかにある種の変化が起こり始めた。それをポジティブにとらえるかネガティブにとらえるのかは担当者によってまちまちである。

とくにベテランと呼ばれる人たちは変化を嫌う。それに対して若手のケアワーカーはそれを積極的にとらえる。それはナースにおいても同じだ。

結果的にいろいろ不都合が出てくると、ベテランは「それ見たことか」とカサにかかってくる。

しかし、パーキンソンの患者にL・ドーパを使ってジスキネジーが出たといって、「それ見たことか」ということにはならない。ジスキネジーが出るくらい使ってみないと効果は分からないということもある。

何もしなければ何も失敗しないのであり、それは無作為につながる。だから医師は現場の声を慎重に聞きつつも無作為につながるような安易な妥協は慎まなければならないのである。なかなか難しいところだ。


と、ここまでが前置き。件のごとく前置きが長い。