リャードフに続いてリャプノフ。この二人あまりにも似ている。
どこがどう似ているかは明日また検討してみようと思うが、両方ともすごい。
リャプノフはこれまで音源がなかったために知る機会がなかったのだが、この人のピアノは高音が実が詰まっている。40歳過ぎまでたいした曲を書いていなかったリャードフと比べ、リャプノフは若いときからしっかりした曲を書いている。有名なのが作品11の「12の超絶技巧練習曲」だが、その前後にもすばらしい曲がある。
まず「12の超絶技巧練習曲」について説明しておくと、これは実は3期に分けて作曲されており、はじめは1897年、完成は1905年となっている。8年がかりだ。59年の生まれだから38歳から46歳ということになる。こうなるともう別の曲集と考えたほうがいい。この練習曲集と時期的には重なりながら、作品8の夜想曲、作品9の二つのマズルカ、作品25のタランテラが作られている。いずれもすばらしい曲だ。
そして1908年に作られたピアノソナタはブラームスのピアノソナタを髣髴とさせる。というよりブラームスの上を行っている。ブラームスの強音は時として濁るが、リャプノフは透き通っている。ただブラームスは若いときのこの方向を捨てている(基本的には)ので、単純に比較はできないが。
この人も寡作で、遅咲きの桜である。最高作といわれる作品46の舟歌は52歳のときの作品だ。50を過ぎてからむしろ油が乗ってくる。56歳の時のバイオリン協奏曲は信じられないほどの瑞々しさをたたえている。ただ古いといえばあまりに古めかしい。この辺は近代音楽に果敢に(恐る恐る?)アプローチしたリャードフと違うところである。
58歳でロシア革命が勃発し、何年か後にはフランスに亡命し、まもなくパリに客死していく。
リャードフと同じく、もっと聞かれてよい作曲家である。

すみません。シラフで聴いてみると、ソナタの後はドンづまっています。斉藤祐樹投手みたいです。この人はここで終わってしまったようです。
基本的にメロディーメーカーではないのですが、ロシア民謡を採集しているうちにそれも枯渇してしまったようです。初期の曲の歯切れの良さも失われてゆきます。
借り物のロシア民謡のメロディーで変奏曲を作るのですが、やはり自発的に内在するメロディーがないと曲が進んでいかないのです。リストと似ていますね。
でも超絶技巧練習曲からピアノソナタにかけては間違いなく一流だと思います。