年表を作成してみての感想については、以前にも書きましたが、今回の補遺作業を通じて感じたのは、

1.終戦直後の改革が旧大日本帝国政府の官僚との激しい闘争過程であり、それを遂行したのはアメリカの本国政府だということ。まさに右翼勢力がいうとおり、改革は押し付けられたのです。

2.そこには人民も民衆もほとんど登場しません。当初はほとんど茫然自失状態であったのではないでしょうか。しかし翌年あたりから民衆の声が上がるようになりました。それらは改革を熱狂的に支持するものでした。

3.マッカーサーは本国政府の意向を薄めていた。

この問題については少し詳しく触れておきたいと思います。


A)軍政を中止したのはマッカーサー

マッカーサーは当初から宥和的な態度を強く押し出しています。全土を軍政下に置くという初期方針を旧政府機構の存続に切り替えたのはマッカーサーの判断です。

9月2日に東京湾のミズーリ号艦上で降伏協定の調印式が行われました。これにあわせ占領軍は歴史的な指令第1号を発します。この指令の核心は日本全土(沖縄・樺太を除く)を軍政下に置くということです。しかしこのことは翌日あっさりと覆されました。重光外相の要請を受けたマッカーサーが判断したといわれます。重光葵というのは記録映画でシルクハットをかぶった足の不自由な人です。


現 場で対応するために場面によっては柔軟な対応が迫られるというのはよくあることです。しかし相手はただの官僚ではありません。侵略戦争を遂行し中国人など 数百万の人を死に追いやり、国民を徹底的に弾圧し、言論を封殺し、挙句の果てに兵士、民間人を犠牲にした戦争責任者であり、要するに人民の敵だったわけで す。マッカーサーがそこをしっかり抑えていたか、たぶんに疑問が残ります。

この時点で、本国政府から直接の異議はありませんでした。マッカーサーの基本的任務は日本軍の武装解除と全土の制圧にあったわけなので、それが最も犠牲少なく迅速にできる方法を選択するのは現場の裁量です。

しかし、そのときマッカーサーの真意について本国政府が懸念を抱いたとしても不思議ではありません。

マッ カーサーをできるだけ善意に解釈してみましょう。彼は絶対的な悪の主役は軍部だと考えました。政・財・官の勢力は決して無垢の人々ではないが、改心させる ことはできると考えました。だから彼らを軍部と引き離し自立させることによって、民主化は到達可能と考えたのではないでしょうか。

この基本戦略はドイツやイタリアには通用するものだったかもしれません。しかし日本はヨーロッパの国とは成り立ちが異なっていました。この国は日清・日露戦争以来ずっと侵略戦争を戦い続けてきた国なのです。いわば戦争で飯を食ってきた骨がらみの戦争国家でした。

だ から、もうひとつ根っこまで迫って改革しない限り、同じような国家がまた育ってきます。本国政府の特に知日派は、そこをはっきりとつかんでいたのだろうと 思います。その根っこというのは封建的地主制度、独占資本主義制度です。これらが国家制度と癒着し、その接着剤として天皇が君臨するという絶対主義政治体 制です。

B)天皇、近衛元首相との会見もマッカーサーの判断

マッカーサーは旧支配層との接触を次々に拡大していきます。9月末には天皇との会見、さらに10月4日には近衛元首相を呼び、憲法改正の作業を要請するに至ります。さすがに本国ではマッカーサーの基本方針からの逸脱を批判する声が強まりました。

こ れらの批判をかわすためにマッカーサーは天皇との会見における例の写真を大々的に広めたのではないでしょうか。この写真の絵柄は大変矛盾したものを含んで います。まず第一印象としてはマッカーサーの大変失礼な態度です。どこの国でも一国の元首と会うのにこのようなぶしつけな態度を取ることはありえません。 しかもわざわざこの一枚を選んで発表したのは、マッカーサーの本国向けのジェスチャーと見るべきではないでしょうか。

大事なことはこの写真ではなく、マッカーサーが日本の元首として天皇を遇したということです。「マッカーサーの逸脱きわまれり」と米政府が判断してもおかしくはないと思います。

C)暗黒政治の継続がアメリカ国内に露見した

そこへ持ってきて、一人の政治犯の獄死事件が発生しました。リベラルな傾向を持つ哲学者三木清です。三木清がなくなったのは9月末でしたが、当初はそれほど騒がれたわけではありません。

しかしこの報せを受けたGHQでは、日本政府への強い不信が起こりました。

特に山崎巌内相の発言は唖然とするものでした。

思想取り締まりの秘密警察は現在なほ活動を続けていおり、反皇室的宣伝をおこなふ共産主義 者は容赦なく逮捕する。また政府転覆を企むものの逮捕も続ける。共産党員である者は拘禁を続ける。政府形体の変革とくに天皇制廃止を主張するものはすべて 共産主義者であると考へ、治安維持法によって逮捕される。

これが国内向け発言ならともかく、なんとアメリカ軍機関紙「星条旗」紙に掲載されたのです。GHQはこの発言を聞いて頭に血が上りました。「日本政府は占領軍をなめているのではないか」ということでしょう。

GHQ には多くの米国務省系のスタッフが参加していました。そのボス格だったのがジョージ・アチソンです。(このアチソンは後に国務長官となったディーン・アチ ソンとは別人で、戦前からの中国通外交官)。アチソンは9月7日にGHQ政治顧問として赴任しました。バーンズ国務長官はマッカーサー監視の役割を期待し たとされています。(未完)