1月31日 日曜日 昼から日本中国友好協会 道連の新年会があって出席しました。

正直言って高齢者中心の集会で、69歳の私が若手代表みたいな感じで、なかなか辛いものがありました。そこで「60年史」をいただきまして、何か紹介して置かなければならないと思い、読ませていただいているところです。

日本の中国との友好運動は、当然の事ながら文革開始以前、文革から関係回復まで、回復以降の運動と3期に分かれます。そして真の困難はいままさにこの時期にやってきているといえます。というか、いまその存在意義が深刻に問われているのだろうと思います。

日本AALAも東アジアの平和の同盟作りを目指し署名活動に取り組んでおり、日中友好協会、日朝協会などと協力しながら人民レベルの友好連帯を促進すべく活動しようと考えています。おそらく今後はこういった枠組みで友好・連帯運動が発展していくのではないかと考えています。

その際、中国との友好関係についてはその特殊性を見ておかなくてはなりません。それは仁木町に立てられた碑文にもあるように、たんなる友好ではなく「不再戦友好」でなくてはならないからです。鑑みるに、文革期以降は事実上中国との友好関係は断絶していました。それにもかかわらず30年以上にわたり日中友好協会が活発な活動を続けてきたのは、まさに不再戦の活動のゆえです。

この教訓はきわめて貴重だと思います。それは東アジアの友好運動がたんなる友好ではなく、「平和・友好・不再戦」を掲げた運動でなくてはならないことを示しているからです。

「社会主義国」との友好は複雑な局面を含んでいますが、私たちは「不再戦」を共通の土台に据えて、その先に「平和・友好」を掲げることで、路線の正確さをみずからに課していくことができるのではないでしょうか。