明治の農業改良運動 年表


1869年(明治2年) 民部省勧農局が設置される。欧米の大農法・西洋農具・外国産穀類蔬菜類などの試験研究を推進。
1873年(明治6年) 地租改正。その後5年間にわたり、各地に反対運動が起こる。

1874年(明治7年) 全国各地に種芸試験所が設置される。種苗の栽培試験、西洋農具の実験などを実施する。

1978年(明治8年) 勧農局が大蔵省に移動。欧米農法の移植政策を切り替え、稲作を中心として在来農業の再検討を開始。「開農義会」を組織し老農(農事老練者)の積極的起用を図る。

ウィキペディアによれば、群馬県の船津伝次平、奈良県の中村直三、香川県の奈良専二の3人は明治の三老農と呼ばれ、彼らに次いで福岡県の林遠里、秋田県の石川理紀之助が知られていた。

1875(明治8年) 先覚的な篤農が中心になって各地で種子交換会や農談会が開かれ、在来農法の改良と新技術の普及がすすむ。勧業会・農事集談会・種子交換会など名称は各地各様であったが、一般的には農談会の名で総称されていた。

明治農法と言われ、「乾田馬耕」、「深耕多肥」、「多肥多労」という3つの系列からなる。次第に統一されて多肥・集約的農法となる。ウィキペディアによれば、1.牛馬とプラウを用いた深耕、2.乾田化に代表される土地改良、3.塩水選など選種の精緻化、4.耐肥性多収品種の導入などがあげられる。

1876年(明治9年) 洋行帰りの津田仙、学農社を設立。「農業雑誌」を創刊する。

津田仙はメソジスト教徒として、足尾鉱毒反対運動や禁酒運動、盲学校教育などに尽力し、また女子教育にも熱心であった。数えで8歳の次女むめ(津田梅子:津田塾大創始者)を、岩倉使節団に同行させて、米国に留学させた。

1877年(明治10年)

 西南戦争。3千人が参加した熊本暴動をはじめ諸県で農民騒動が47件に達する。コレラが全国で大流行。

 船津伝次平、駒場農学校の教官に任命される。経験を重んじる在来の日本農業に西洋の近代農法を積極的に採り入れた「混同農事」に力を入れる。その後、巡回講師として全国各地で農業指導。船津農法を広める。

1878年(明治11年) 政府の農事通信員制度が発足。全国を12の農区に分け農事研究を奨励。

1880年(明13) 国会期成同盟成立。自由民権運動が盛んとなる

1880年(明13) 内務省勧農局、「各地の習慣、各自の意見を討論し、利害得失を講究し、勧農上実益を収むるの便法」として農談会の開設を府県に訓令

1881年(明治14)3月 東京で第2回内国勧業博覧会のとき、全国から老農約120人が集まって第一回全国農談会が開かれた。

会議に出席した山形の老農は、「本日出席された各氏の説を聞き、牛、馬耕作がすこぶる便利であることがわかったので、本県も将来使用することにする」と感想を述べている。(www.nokyo.or.jp/enkakushi/PDF/1-No04.pdf

1881年(明治14) 全国農談会の成功を受けた政府は、農政関係者と老農を集め「大日本農会」を組織。

noudanzakki
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/839539


1884年(明治17年) 松方デフレが農村を襲う。秩父困民党事件が発生。

1885年(明治18年) 勧業会設置準則が公布される。公費を以て郡役所管内を一区域として開催する。

1886年(明治18年) 静岡県森町の中村和三郎、報徳会系の「帝国農家一致協会」を設立し、雑誌「農談」を発行。

森町のホームページによれば、農業研究雑誌「農談」は、日本で最大の2万2千人の会員を擁し、17万部を発行した。(ただし裏付けとなる他資料皆無)


noudan
山草人のモノローグ
より


1887年(明治20) 急速に開催は減少。公費を以て開催する農談会は皆無に近い状況となる。近隣の農家が農業技術など語り合う、部落単位の集会は、その後も催される。

1890年(明治23) 香川の奈良専二、農業指導者として招聘され、68歳で秋田の花館に移住。さまざまな改良を行う。

1892年(明治25年) 稲作の改良熱が台頭。再び農談会が急激に増加する。巡回教師による農事講習会・講話会・学者の講演会が主体となる。

1893年(明治26年) 国立農業試験場が開設される。これにより農業技術の全国的な普及体制が整い、老農時代が終焉に向かう。

1893年(明治26年) 「農業雑誌」は月3回の発行で毎号3400部を印刷。他にも日本農業新誌、農事雑報など同種の雑誌が刊行される。読者参加のページが紙面の4割を占める。

この論文には、都下の一農業青年の勉強ぶりが報告されている。
 静蔵は'青年談話会で共同購入していた『日本農業新誌』に加えて、個人で『農業雑誌』、『興農雑誌』 の購読を開始する。また青年談話会では『土質演説筆記』、『簡易地質学」、「肥料製造独書」など農書六冊をまとめて購入した。

 1894年(明治27年) 朝鮮で東学党の乱。これを機に日清戦争が勃発。