この1週間、ロシア音楽にズブズブとはまっています。

とくにこの2,3日はリャードフばかりです。

ウィキペディアの曲名一覧を見てもらえば分かるのですが、この人は長い曲も書かないし、大規模な曲も書きません。

ひたすら4,5分の曲ばかりです。

だから有名にはなれませんが、いかにも日本人好みです。どうして日本でこれだけ冷遇されているのでしょう。

「日本で」と書いたのは、外国ではけっこう聞かれているからです。そこへ行くとキュイなんかは外国でもあまり相手にされていません。

YouTube などで集めたらこんなになりました。

Lyadov

たしかにピアノ作品を聞きたくてウィンドウ・サーフィンしたのでピアノ曲中心になっており、管弦楽作品のいくつかは落ちていますが、それにしても作品のほとんどがピアノ小品であることは明らかです。

1855年生まれで作曲番号のついた曲が1876年辺りからですから、21歳。プロの作曲家としては随分と遅咲きです。モーツァルトならもうケッヘル300番位です。

死んだのが1914年、59歳の時です。その年に作品番号のついた最後の曲「挽歌」を作っています。これが作品67になります。38年で67曲ですから年間1.8曲ということになります。

半年に1曲。しかもピアノ小品集ばかり。よほど生活が大変だったのでしょうか?。

どっこい、その生活たるや波瀾0丈で、まったく何もありません。

なぜか?。これに関してウィキペディアはきわめて辛辣です。

リムスキー=コルサコフの作曲科に籍を置いたが、常習的欠席を理由に、1876年に除籍された。

リャードフは、同時代の音楽家から高い評価を得たほどの技術的な手腕に長じていたが、持ち前の不甲斐なさから、進歩が妨げられた。

ここまで言うか?と思いますが、客観的に見て稀代の寡作家であることは間違いないようです。

日本ではこういう小説家いますよね。例えば広津和郎、上林暁。研ぎ澄まされた短編小説、いわゆる私小説をぽつりぽつりと書いて、数は少ないが熱狂的なフアンから神様扱いされたりして…。

私はリャードフってそういう人じゃないかと思います。上の表で言うと作品2の「ピリュールキ」から作品67の「挽歌」まで隙がない。「名曲」かどうかは別にして「駄作」はない。すべての曲に意味がある。

そうは言っても流れはあります。

一つは1989年、44歳の時に作ったバラード『古い時代から』(作品21)というのがあります。元はピアノ曲ですが、明らかにオーケストラ用の草稿です。ピアノ曲としては面白くもなんともありません。

ちょっと、流行作曲家に色気を示したのかもしれません。しかしそれは直ぐにやめてしまいます。聞いてもらえばわかりますが、あまり面白くはないのです。編曲のせいもあるのではないでしょうか。

ということでまたピアノ小曲集の作家に戻ります。

そうして次が48歳の時に作った「音楽の玉手箱」の大ヒットです。これで気を良くしたのかリャードフは長大作に手を出しました。それが「グリンカの主題による変奏曲」です。

しかし長大作を作るのには変奏を繰り返したり、フーガや対位法の技法を駆使しなければなりません。「グリンカの主題による変奏曲」を作ってみて、「オレはそういう理屈っぽいのには合っていないんだ」と思ったのではないでしょうか。

多分、それは正解だろうと思います。リャードフのためにあえて一言言えば、「そんなのはただの百姓仕事」なのです。

しかし、彼の理系能力には疑問符がつくものの、音感は大変優れていました。きちっとやれば、彼は立派な管弦楽作品も作れたと思います。

その証拠が1905年の交響詩「バーバ・ヤガー」(作品56)です。この時すでにリャードフは50歳。何かを始めるにはもう遅すぎる年ですが、とにかくこの曲があまりに素晴らしい。(そしてあまりに短い)

リャードフは立て続けて「管弦楽のための8つのロシア民謡」(1906年)、交響詩「キキーモラ –」(1909年)を発表し、一躍、管弦楽の作曲者として注目を集めることになります。

しかしこの時すでに54歳、当節で言えば70歳を過ぎたあたりでしょう。乾坤一擲の大勝負をかけるにはもうスタミナがついて行きません。

ディアギレフの委嘱に応じることができず、いわば代役として「火の鳥」を書いたストラヴィンスキーがトンビになって油揚げをさらっていくわけですが、やむを得ないことだったのではないでしょうか。

作品番号のついた最後の作品となる「挽歌」(作品67)は、フランス近代音楽風です。バイオリンがところどころで無調への揺らぎを示します。

保守的といえばそうなのですが、私には彼が慎重に着実に時代の流れを取り込もうそしていたのだろうと思います。リャードフにはそれが似合っています。


追補(2月1日)

hoi
大したものはないです。

作品53のホ短調のマズルカは作品57と通ずるものがあります。

リャードフの最後の10年は管弦楽作家だったようです。ピアノの小曲ばかりで室内楽も書いたことがなかった人なのに、ちょっと背伸びしすぎでしょう。