アマゾンから爆買いしたCDが次々と到着している。

しばらくはジョージ・セル漬けになる。

まずは一番聞きたかったメンデルスゾーンのイタリア交響曲。音は意外と硬いままで、期待していた艶やかさはない。本当にリマスターしたのかと一瞬疑う。

むかしエピックのLPで聞いた頃は、同じコロンビアでもフィラデルフィアやバーンステインの録音と比べると明らかに見劣りがした。値段もその分安かった。CBSの下請けがそれなりのレコードを作っているという感じだった。

ただこの録音は1967年のもので、セルの中では新しい部類に入る。だから音はこれで十分なはずで、あるとすればセルが注文をつけてこの音にしたのかもしれない。

よく聴き込んでいると、合奏があまりに緻密なのでこじんまりと聞こえるのかもしれないと思う。無駄な音が一つもなくて、一つ一つに意味のある音がぎっしりと詰まっているのが分かる。

確かに、「…ながら」で聞くにはいささかしんどい。

音楽を聞いた時の快感というのには二種類あって、身を委ねるような快感と、前のめりになって「ウムウム」と唸りながら握りこぶしを固めるような快感がある。たとえは悪いが、麻薬の快感と覚せい剤の快感の違いのようなものだ。

麻薬系の快感を与えてくれるのがマゼールとベルリン・フィルのイタリア交響曲だ(残念ながらYoutubeからは消えてしまった)。セルの演奏が正確なリズムで気分を煽るのに対し、こちらはソノリティーが命だ。

こちらはリマスターでかなり音質が改善されている。最近のデジタル録音に比べれば見劣りはするものの、高校生の時に買った25センチ盤とは雲泥の相違で、とうてい同じ演奏とは思えない。

ただ、セルにしてもマゼールにしてもこれがイタリア交響曲のスタンダードかと言われるとちょっと迷うところがある。やはりクレンペラーによる刷り込みの影響は大きいのだ。


まいった。

どうにもセルのヨハン・シュトラウスがいいのだ。

ウィーン・フィルのワルツを聞いていると、どうにも違和感がつきまとう。

いかにも上流階級のお遊び半分みたいな贅肉たっぷりの演奏がダラダラと続くと、ウソっぽくて仕方がない。

もっと猥雑で、イナセで、肩で風を切って歩くようなトっぽいのがシュトラウスではないかと思う。

それをクラシック音楽として宮廷でとりあげるなら、それに思いっきりカミシモを履かせるのが礼儀というものだ。

セルはヨハン・シュトラウスの曲を世紀の名曲のように演奏する。そして決め所ではけっこう見栄を張ったりする。袴と白足袋の間から毛脛をちらつかせる風だ。

やはり当時のウィーンとそこでのシュトラウスの位置を知っているから出来る芸当だろう。

セルは、知ったかぶりの人はスツェル・ゲオルギーと書いたりして彼がハンガリー人であることを強調するが、生まれがブダペストというだけである。3歳の時からウィーンで生活し、第一次大戦が終わる頃までウィーンで学び生活していた。ハンガリーにさほどの義理はない。

第一、ユダヤ人だから、もともと「街の子巷の子」でありコスモポリタンである。セルの出自を問うなら、むしろ当時ロンドン、パリと並ぶ国際都市ウィーンの申し子と言うべきである。

ナチスとその戦争さえなければ、マーラー、ワルターに続く世代としてウィーンで店を張っていたかもしれない。

ピアニストとしてのデビューは11歳。1908年のことである。

マッハを先頭に哲学、経済学でウィーン学派が盛んに議論を戦わせ、組織労働者に支えられて社会民主党が勢力を伸ばし、1905年のロシア革命に敗れたトロツキーやブハーリンが亡命生活を送っていた。それが当時のウィーンだ。

それらもろもろの通奏低音としてヨハン・シュトラウスが鳴り響いていた。もちろんラジオなどない時代だから、庶民は辻つじでコーヒーを片手に新聞を読みながら、辻音楽のワルツに聞き入っていたのである。

セル少年はその時代をまぶたと心と体に焼き付けて大人になっている。だからセルのワルツは庶民目線、間違ってもブヨブヨの演奏には成り得ないのである。

もちろんセルの通例として、キビキビとした、悪く言えばとんがった演奏は当然である。その限りにおいてはワルツのお気楽な雰囲気はない。

しかしそのことをもって、ウィーン情緒とかけ離れているということはできない。

彼の演奏のような雰囲気は決してウィーン情緒の主流ではないかもしれない。しかし当時のウィーンには彼の演奏のような生真面目な生き方も間違いなくあったのだろうと思う。

同じようなことはイッセルシュテットの浅草サーカス小屋風ブラームス・ハンガリー舞曲にも言える。

私はむしろそういう演奏にこそウィーン情緒、庶民のウィーンを感じてしまうのである。