原子核からクォークへの流れは比較的よく解説されており、理解が可能だが、電子(エレクトロン)から親戚筋(レプトン)が増えていく道筋(認識の)はあまり説明された記憶がない。

ちょっとこの辺をやっておかないと、ニュートリノを扱っていても危なっかしい。

少し年表にして、足跡を辿ってみよう。

電子の研究の歴史については、コトバンクの中の以下の解説が大変詳しい

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

1836年 ファラデー、最強の絶縁体である真空での電流(放電)研究を開始。

* ドイツの物理学者オイゲン・ゴルトシュタイン、真空のガラス管に電極を通し、陰極線が走るのを観察。この流れが陰極から発生したため「陰極線」と名付ける。

* ドイツの物理学者プリュッカー、放電管を作成。陰極に近いガラス壁が蛍光を放つことを発見し、放射線が陰極から出ているためと主張。放射線が磁石の作用で曲げられることも発見する。

* 陰極線の正体について、波動説と粒子流説とに分かれ論争。

1896年 ゼーマン、ナトリウムを磁場において炎光スペクトルを観測。D線領域が拡大することを発見する。

* ロレンツは「原子内の軽いイオン」が磁場の大きさに応じて周波数が変化するためと説明。粒子説を裏付ける。

1897年 イギリスの物理学者ジョセフ・ジョン・トムソン、陰極線の正体が粒子線、すなわち負に荷電した電子であるということを証明。これが電子の発見とされる。

トムソンは、回転鏡を用いて陰極線の速さを測定。陰極線の速度は電磁波(光)の100分の1以下であった。
電線の中の電子の速度は1時間では40㎝、これはカタツムリの進む速さよりも遅い(教科書の教えてくれない物理

1898年 ペラン、陰極線を金属箱にとらえ、箱が負に帯電するのを観測。電子が負の電荷を持つ粒子であることを示す。

* J. J. トムソン、陰極線が電子であること、電子が単一であること、その電荷量が水素イオン1個の電荷に匹敵することを確認。質量あたりの比電荷は水素イオンの1000倍に達する。

1900年 ベックレル、ウラン化合物が放射能を持ち、自発的に放射線を発するのを発見。その中のβ線が電子と同じものであると報告。

この頃は原子内で陽子と結合した電子が何らかのきっかけで飛び出すと考えられていた。

1902年 ギルバート・ルイス、原子の立体モデルを提唱。これによると、原子は立方体状で電子はその8つの頂点に存在するとされた。

1904年 J. J. トムソン、ぶどうパン・モデルを提唱。これによれば、正の電荷のスープの中に電子が散らばっているとされる。

1904年 長岡半太郎、土星型原子モデルを提唱。電子は正電荷を帯びた原子核の周りを土星の環の様な形で回っていると主張。(ほう、そうか。長岡半太郎って偉かったんだ)

1906年 トムソン、一連の研究によりノーベル物理学賞を受賞。

1911年 アーネスト・ラザフォード、太陽惑星モデルを提唱。電子は原子核の周りを惑星の様に回っている、と主張。

1913年 ニールス・ボーア、ラザフォード・モデルをもとに、電子は特定の量子条件や振動数条件を満たす電子軌道を回っている、と主張。これが量子力学で補強され定着することになる。

1928年 ポール・ディラック、ポジトロン(陽電子)の存在を提唱。4年後にアンダーソンが、霧箱を用いて宇宙線由来のポジトロンの観測に成功。

ディラックの理論は解説を読んでもさっぱりわからない。結論としては、電子は広がりを持たない「点粒子」であるが、「電子が光子(フォトン)の雲を周りに着」ているということだそうだ。