ちょっと気が重いが、以前からの宿題であるニュートリノ(振動)にとりかかる。

私は超文科系で、物理も数学もテンで歯がたたない。ここではニュートリノの文科系的理解を図りたい。

最初に梶田先生みずからの説明(朝日新聞 2015年10月6日)

物の状態が変わって変身するということは、その分だけ時間が経過していることになります。つまり、ニュートリノが別の型に変わるということはニュートリノの時計が進んでいるのです。時計が進んでいるなら、ニュートリノは光速じゃない。光速で飛んでいない物には質量があるのです。

ということで、例によって年表づくりから

元ネタはスーパーカミオカンデのサイトのニュートリノの歴史というページ。ウィキペディア、

1930年 オーストリアの物理学者パウリ、ベータ崩壊時のエネルギー減少現象について「幽霊のような粒子がどこかに飛び出してしまうから」という 仮説をたてる。そしてこの想像上の粒子を「ニュートロン」と名付ける。ニュートロンは電荷を帯びておらず中性であるということから名付けられた。

実際には、パウリ以前に、中性子のベータ崩壊で「崩壊後の運動エネルギーの発生量が質量の減少に見合わない」という現象が発見されていた。質量の減少した分のすべてがエネルギーにならず消えてしまうのである。
ボーアはこれを「ベータ崩壊ではエネルギー保存の法則が破れる」と表現している。

1932年 ニュートロン(中性子)が発見される。幽霊粒子の方のニュートロンの名は宙に浮く。

1933年 イタリアの物理学者フェルミ、パウリの幽霊粒子を検討。これを「ニュートリノ」とリネームする。「-イノ」は接尾辞で「小さい方の中性子」ということになる。

陽子と同じ質量で電荷を持たない中性子と似た関係で、電荷を持たない電子と考えられる。

1936年 C.D.アンダーソン、ミュー粒子を発見。当初中間子の一つとされたが、質量が重いことを除いては電子のような性質を持つことが判明。核子と同じように電子にもグループがあることが分かる。

1948年 ローゼンフェルト、素粒子のうち軽い方のグループにレプトンと命名する。ギリシャ語で“軽粒子”という意味。

自然に存在するレプトンは電子とニュートリノで、これを第一世代という。第二世代(ミュー)は新たに発見されたもので、加速器などによる高エネルギー衝突で発生し、ただちに粒子崩壊する。当時は第三世代(タウ)はまだ作れなかった。

1956年 カワンとライネス、ニュートリノの存在を実証。

1956年 ハンガリーのギュラ・チカイ、ヘリウム6がベータ崩壊し、ニュートリノを発生する過程を、霧箱で撮影することに成功。

1957年 ブルーノ・ポンテコルボ、ニュートリノと反ニュートリノの間で「ニュートリノ振動」が起きると提唱。

ニュートリノが空間を飛ぶ間に波の位相が変化する現象。これはニュートリノの固有波形が質量に依存しているためであり、波形の変化の証明は質量が存在していることを意味する(と言われてもわからないが、説明を聞くともっとわからなくなる。後で勉強)

1956年 アメリカの物理学者ライネスら、原子炉から生まれるニュートリノを捕捉。実在が証明される。

原子炉から生じたニュートリノビームを水に当て、水分子中の原子核と反応させた。これにより生じる中性子と陽電子を確認。

1958年 チェレンコフ効果を発見し、検出装置を作成したチェレンコフら3人がノーベル賞を受賞。

ニュートリノと衝突した電子はチェレンコフ光を発生する。これを増倍管で検出するとニュートリノが来た方向が分かる。

1962年 レーダーマンら、陽子ビームで作成したパイ中間子の崩壊により、ミュー・ニュートリノの作成に成功。ミューニュートリノの存在が最終的に確認される。

1962年 坂田昌一ら、ポンテコルボの式を元に世代間のニュートリノ振動を予測。ニュートリノが質量の異なる電子・ミュー・タウの型の間で変化することで、振動が発生すると予想した。

1969年 アメリカの物理学者デイビス、太陽ニュートリノの観測を開始。観測の結果「太陽ニュートリノ問題」が発生。

太陽ニュートリノ問題: 太陽からのニュートリノはすべて電子ニュートリノとされる。しかし電子ニュートリノは理論値の 1/3しか観測できなかった。理論が間違っているのか、どこかに消えたのか、観測技術に問題があるのか。これらが約30年間にわたる物理学上の大問題とな る。

1974年 SLAC国立加速器研究所が第三世代レプトンとなるタウ粒子を実証。

1983年 カミオカンデ(水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置)が完成。大統一理論の陽子崩壊を実証することを目的とする。

ニュートリノの電子との衝突を検出し、それにより陽子崩壊を実証することを目的とする。
3000トンの超純水を蓄えたタンクと、その壁面に設置した1000本の光電子増倍管(口径20インチ)からなる。

1987年 

1月 カミオカンデグループが太陽ニュートリノの観測を開始する。

2月 カミオカンデグループ、超新星爆発からのニュートリノの観測に成功。これにより小柴教授がノーベル賞を受賞。

16万光年彼方の超新星1987Aが超新星爆発(重力崩壊)を起こした時のニュートリノを捕らえた。ここから「ニュートリノ天文学」が開始される。

1989年 カミオカンデグループ、太陽ニュートリノの観測によりデイビスのグループと同じく、ニュートリノ観測量が理論値より低いことを確認。

1989年 カミオカンデグループ、大気ニュートリノにおいて電子ニュートリノとミューニュートリノの成分比が理論値と食い違うことを発見。

観測では、地球を貫通してきたミューニュートリノが上空からのものに比べ半減していた(電子ニュートリノは変化なし)
これはミューが波形を変えタウに変化したためである。(タウは現在のところスーパーカミオカンデでは計測できない)

1996年 カミオカンデに替わるスーパーカミオカンデが完成。世界最高精度のニュートリノ観測装置となる。

カミオカンデの成果: 結局、当初の目的である陽子崩壊の観測は実現せず。
これは陽子の寿命が少なくとも1033年以上であることを示し、大統一理論に修正を迫ることになった。

1998年 スーパーカミオカンデでニュートリノ振動が発見される。これによりニュートリノが質量を持つことが証明された。梶田教授はこの業績でノーベル賞を受賞。

この質量はヒッグス粒子で説明できない。このためニュートリノの質量の説明は「素粒子の標準理論のほころび」だとされている。
ノーベル賞は2013年に標準模型の完成をたたえ、その2年後にはその破綻をたたえることになった。

2000年 フェルミラボのドヌーティ、タウニュートリノを実証。

2001年 カナダのサドベリー・ニュートリノ観測所のマクドナルド、太陽から飛来する電子ニュートリノがタウ・ニュートリノに変化していることを確認。太陽ニュートリノ問題に終止符を打つ。

サドベリー観測所はサドベリー市郊外のニッケル鉱山跡で、地下2,000メートルの施設。
重水を用いており、電子、ミュー、タウの三種類のニュートリノを観測できることが特徴。(隠し味に塩も入れているそうです)

2004年 K2K実験。つくば市の高エネルギー加速器研究機構 (KEK) からスーパーカミオカンデに向かってニュートリノを発射する。これによりニュートリノに質量があることが確定される。

2011年 OPERA、ニュートリノが光速より速いという実験結果を発表。翌年の再実験て撤回される。

2013年 鈴木教授(スーパーカミオカンデ)とマクドナルド(サドベリー・ニュートリノ観測所)、太陽ニュートリノの3つのフレーバー全てについて到来量を測定することに成功。