2012年

5月 フランス大統領選の決選投票。「真の敵は金融界だとし、60の約束」を掲げたフランソワ・オランド(57)が、民衆運動連合(UMP)のサルコジを破り初当選。

オランドの政策は1.緊縮よりも経済成長、2.金融界への規制強化を柱とする。具体的には
①銀行の活動を投機から分離、②仏銀行の租税回避地での営業禁止、③ストックオプションの原則禁止、④銀行のボーナスの上限、⑤銀行税の15%増、⑤全ての金融取引への課税、⑥富裕層に45%の追加税率、⑦前政権による富裕税の軽減見直し、⑧資産収入に対する所得税と同等の課税
一方で民生充実のために
①半官半民の投資銀行の設立、②家賃の一部凍結、③60歳からの年金給付、④教育部門公務員職の創設、⑤公務員削減計画に見直し、などを打ち出した。
要するに「大きな政府」による国家の再分配機能の強化である。

5月 オランド当選を機に、ソシエテ・ジェネラル、クレディ・アグリコール、BNPパリバなど仏大手銀行の株価が急落。NY市場も200ドルの下落。

5月 ドイツのメルケル首相、オランドが求める「新財政協定」の再交渉を拒否。一方で欧州債務危機の解決に向け協力を呼びかける。

7月 フランス企業の競争力が急激に後退。政府は航空宇宙・防衛大手EADSのギャロワに対応策の策定を依頼。

ギャロワは個人消費や輸出の伸び悩み、固定資産投資の減少が競争力低下を招いているとし、「大きな政府」が残存する中での財政悪化の危険を指摘。

7月 会計検査院のミゴー議長、「財政赤字のGDPの3パーセント以下(EU基準)への削減のために、330億ユーロをひねり出す必要がある」と語る。

オランドはこれを受け、「今後、努力の半分を経費削減に投入する」と述べる。医療費、職業訓練費、地方自治体助成金などが削減対象となる。

11月 オランド政権、ギャロワ報告を受け企業減税策を発表。政策を事実上180度転換させる。

具体的には社会保障の雇用主負担分200億ユーロ(約2兆0500億円)の削減。このための財源として付加価値税(日本における消費税)と社会保障税の増税でカバーする。

2013年

3月 財界紙「レゼコー」、「オランド大統領は社会福祉の再検討、地方自治体への補助金削減、公共部門での生産性向上、労使間対話の根本的改善を選択した。これは「左派による自由主義政策》に向けての勇気ある選択だ」と褒め称える。

解雇規制法はもともとはフランス人労働者を移民から守るために設けられたもので、必ずしも労働者的とはいえない。

12月 13年度の成長率は0.4%と低迷し、失業率も10.2%に達し、若者の失業率は20%を超える。政府に通貨(ユーロ)発行権がないため金融出動策が打てず。

2014年

1月 政府、企業に対し「責任協定」の導入を提案。①企業が雇用や投資を拡大すること、②それを条件に、社会保険料の企業負担分を300 億ユーロ軽減する(これはGDP の1.5%分に相当)、③さらに法人税率を段階的に28%まで引き下げるというもの。

7月10日 モントブール経済相、マクロ経済政策の転換を提案。60億ユーロ(8千億円)規模の内需拡大計画を発表する。

歳出削減による余剰を赤字削減だけでなく、家計と企業向けの減税に充てるとする。また「(ギルド的)専門職の自由化」も提起。この発言は大統領の承認を得ないまま行われた。

8月24日 モントブール経済相、緊縮財政路線の撤回を主張。

モントブール発言: ドイツがリーマン・ショック後に押し付けた財政赤字削減策はユーロ圏経済を台無しにした。緊縮政策は財政赤字を縮小していないことを認めざるをえない。迅速に方針転換しなければ有権者はポピュリストや過激主義の政党に流れる。

8月26日 ヴァルス内閣が総辞職。オランド大統領はモントブールら3人の閣僚を更迭し、内閣を改造。ロスチャイルド銀行のマクロンを経済相に当てる。

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        モントブール経済相

8月27日 バルス首相、経団連総会に出席。「企業を愛している」と発言。引き続き赤字削減に取り組み、400億ユーロの法人税減税と規制緩和の前進を表明する。総会は拍手で応える。

9月 バルス首相がベルリンを訪問。均衡予算を求めるメルケルに対し「フランスに向けられた不信は理解している。改革をやりきる」と約束。オランド支持率は13%まで低下する。

2015年

2月 オランド政権が経済政策を発表。「マクロン法」と称される。年間5回だった「日曜開店」を12回に増やすなど。

6月 社会党大会。カンバデリス第一書記はモントブールの批判に対し、「社会党が消滅したらフランスは人間性を、フランス人は希望を失う」と反論。