職場で購読しているので、正月明け出勤で赤旗の山。

自然と飛ばし読みになるが、元日号の志位さんと中野晃一さんの対談は非常に面白い。

そんなに肩がこる読み物ではないので、実物にあたってもらえばいいと思うが(多分ネットで読めると思うが)感心したポイントを上げておく。

1.市民運動(多数者革命)と主権者意識

志位: 日本の歴史でも初めての市民革命的な動きが開始された。憲法の平和の理念、民主主義の理念が国民の中に浸透して、豊かに力を発揮しだした。

中野: 「野党は共闘」「野党はがんばれ」という…のは、市民運動のあり方としても非常に新しい動き。

盾の両面だろうが、市民運動という本来非政治的(非政党的)たるべき運動が「野党は共闘!」というスローガンを突破口に「政治化」したことが当面の主要な側面。志位さんの巨視的観点は重要だが、まだ市民革命とまでは断言できない。

中野: 市民革命との関連でいうと、主権者意識という非常に強いものがあります。

この対話を読んでいると、「市民」概念が根本的変更を迫られていることが分かる。ひとつは「市民」という言葉の持つある種の超階級性が失われつつあること、市民がひとっからげに無産階級化しつつあること、もう一つは労働者・農民、その前衛としての階級政党もまた、実体として「市民」化しつつあることだ。
したがって、「市民」概念が液状化しつつあることだ。だから「市民革命」という言葉は慎重に使わなくてはならない。もし革命という言葉を使うなら、私は「多数者革命」という言葉のほうがふさわしいと思う(まだ練られた概念とはいえないかもしれないが)。

その際、「主権者意識を持つ諸個人」というのは一つのキーワードかもしれない。

2.掛け布団と敷布団

これはなかなかの傑作だ。中野さん、講義に使っているんじゃないだろうか。

運動主体が重層構造を成していることは誰にも分かることで、「政治学」の基本であろう。

これを同心円上に描いたり、ピラミッドやサンドウィッチ構造にしたりと、人はいろいろ工夫するのだが、「主体の政治学」ではどうも一つピンと来ない。

志位: 「総がかり行動実行委員会」という組織が生まれたのは、画期的なことです。…市民運動、全労連、平和フォーラムが…これまではバラバラにやってきたが、それをのりこえて協力したこと。これが「敷布団」ですね。

二つ目に、知識人が果たした役割は、歴史的なものです。…専門家の知的共同体”が、「違憲」という烙印(らくいん)を押した。この方々が示した勇気と理性は、決定的に大きかった。

さらに、三つ目に、「シールズ」、「学者の会」、「ママの会」と、主権者として自覚した方々が個人として連携し、声を上げた。これが「掛け布団」ですね。

ここは正月明けの「議員団総会での挨拶」では、順番を変えて整理されている。敷布団が「総がかり行動実行委員会」、掛け布団が「シールズ」、「学者の会」、「ママの会」で、樋口さんなどの憲法学者はその上の「知識人」という扱いになっている。

3.学者がいかに立ち上がったか

中野: 非常に感動的だったのは、憲法学の先生方が、国会前などで声を上げられていた方たちに勇気をもらっているという姿でした。

樋口教授は「専門知と市民知が出会った」と言っています。

普通の市井の方たちが大挙してこられていて、自分たちの言葉に耳を傾けてくれた。そうした体験を通じて、憲法学者の方たちは大きく変わっていった。

志位: 大学教授のみなさんが、若者の運動に激励されて研究室から飛び出してきた。一流の研究者の方々が国会前で次々にスピーチする。そして若いみなさんの運動に敬意と感謝を示した。

二つの知性が合流した姿を目の当たりにして、胸が熱くなる思いでした。

専門知と市民知の弁証法は、すでに原発問題で実証されている。反原発運動は「東大専門家」の壁をすでに突き破っている。ただ、それを突き破るだけでなく味方につけるには、もう一つの力=青年の勇気が必要だった。
この間、市民運動は、テレビ漫画のテーマ曲ではないが「知恵と力と勇気の子」としての新たな運動の地平を獲得したと言って良いのかもしれない。

4.「個人の尊厳」を共通の土台とする

ちょっと発言の順を入れ替える。最初の問題意識は以下の発言であろう。

中野: 自由主義の潮流と社会主義の接点として、「個人の尊厳」という目標がある。(そこでは)同じではないけれども一緒に連帯できる。

私の身の回りでも、ある程度の世代以上になってくると「共産党・共産主義」と聞くと旧ソ連のことを思って、“志位さんが「個人の尊厳」といっている”と言うと、けっこうどよめきが(笑い)あります。

これに対して、志位さんが科学的社会主義における「個人の尊厳」の位置づけを述べる。ただ、これは「市民」が聞きたい答えではないだろう。
スターリンが「マルクスの子」であり、我々が「スターリンの子」であったという歴史的事実への厳しい自己批判をやっていかないと、なかなか受け入れてはもらえないだろう。

そこで「立憲主義と個人の尊厳を」めぐる対話の最初に戻る。

中野: これまで単に「憲法9条を守る」と来たものが、むしろ「守り育てていく」となってきたと思います。…いかにして憲法9条の精神をより十全なものに実現していけるのか、これが市民社会の変化です。

一つひとつ反対していくことはもちろん大事なんですけれども、それだと後手後手に対応するだけになってしまう。ポジティブ(積極的)なメッセージが必要です。それが「個人の尊厳を守る」ことではないか。

志位: 「個人の尊厳を尊重する」というのは、すべての国民をあるがままの多様な人格を持った個人として尊重することです。それが立憲主義の究極の目的です。

憲法13条には「すべて国民は、個人として尊重される」とある。ここには憲法の核心となる理念が凝縮されています。憲法の国民主権、基本的人権、平和主義という大原則はこの確信理念を基礎として成り立っています。

この部分は相当編集させてもらった。
民主主義・立憲主義・法治主義の関係はまだすっきりと確定されていない。「個人の尊厳」は、とくに民主主義と立憲主義を結ぶ思想的基礎として提起されているのだろうが、今後さらにコンセンサスを形成していく必要がある。

5.志位さん、そこまで言って委員会

志位: 安倍首相ご本人とも、論戦をしてきましたが、まともな議論にならないのです。安倍さんは、かみ合わせて議論する能力がないかみ合わすという資質がない。かみ合わせようという意思もない(笑い)。

「安倍外交」ということでやっていることは、原発を輸出して、武器を輸出して、「積極的平和外交」なる美辞麗句で自衛隊の海外派兵の道筋をつけようとしているだけで、外交と呼べるものは一切ない。

これが武雄市議会だったら、侮辱罪でムチ叩き100回の上で流罪遠島だ。