1.高天原に至る経過

最初の神は國常立尊、國狹槌尊、豐斟渟尊の三柱であった。

神世七代が続き、最後が伊弉諾尊、伊弉冉尊となる。イザナギ・イザナミ伝説は三柱と神世七代とはつながらない。別種の伝承が付けあわされたものであろう。

柱の周囲を回って夫婦となるとのくだりはミャオ族にもあるそうだ。

まず大八洲が生まれ、ついで大日孁貴、月読尊、蛭子、素戔鳴尊が生まれる。この辺りは古事記と比べ平板であるが、「一書曰」で各種の発展形が紹介されている。

黄泉の国の話は省略するが、肝心なことは大和の国造り説話が出雲神話をそのまま拝借していることだ。これは初期の大和への入植者が出雲族であったことを示している。

大日孁貴がアマテラスとなっていく。この人が天孫族の始祖となっていく。アマテラスはまた三柱の女神オキツシマヒメ・タギツヒメ・タゴリヒメをうみ、筑紫(宗像)に降臨させた。この時アマテラスは「天孫を助け、祀られる」よう指示している。

このくだりだけを読めば、アマテラスは朝鮮半島にいて、九州に進出しようとする天孫族に指示を与えているように見える。

次が天の岩戸の話になるが、これは高天原・豊葦原中国がどこにあったのか、アマテラスがどこにいたのかの話に結びつく。

なんとなく朝鮮半島(任那)という感じがするのだが、松浦から博多にかけての何処かかもしれない。

2.スサノオのポスト高天原

スサノオの高天原のイメージと出雲に達してからのイメージにはあまりにも乖離がありすぎる。二つの説話が強引に結び合わされた感じがいなめない。

スサノオは高天原から出雲に向かった。そこでアメノオシホミミ、アメノホヒ(出雲の始祖)、アマツヒコネ(河内と山城の始祖)、クマノクスヒ(島根の一地名)など5柱の神を生んだ。

さらに地元の娘と結ばれ、その子孫が大己貴神を成した。そしてスサノオはついに根の国へと旅立つ。

大己貴は多くの異名があってスサノオより説話としては古そうだ。彼は少彦名命と協同で出雲を治めた。しかし少彦名命は客死してしまう。

その後、大己貴の幸魂(サキミタマ)奇魂(クシミタマ)が大和の三諸山(ミモロヤマ)に移住する。

そしてその子孫である事代主の娘、姫蹈鞴五十鈴姫命がカムヤマトイワレヒコの后となり、神話が完了する。

3.スサノオはどこから出雲に来たか

日本書紀の特徴は、いろいろな異説をたくさん拾っていることである。そしてスサノオをめぐる異説には、なかなか面白いものがある。

ある書によると、スサノオは高天原を放逐された後、息子の五十猛神を連れて、新羅国に降り、曾尸茂梨に辿り着いた。しかしそこが気に入らず、土で船を作って、それに乗って東に渡り、出雲の簸の川あたりに着いた。

ということで、高天原が任那にあったことを想像させる。そして新羅は高天原に隣接しつつ、高天原を中心とする世界の外にあったということになる。

スサノオは高天原という政治世界における権力闘争の敗者である。そして敗者にふさわしい土地、辺縁の後進地である新羅に追放された。

4.出雲は独自の海上交通路を持っていた

ある書によると、スサノオはこう言った。「韓国の島には金銀がある。もしもわたしの子孫が納める国に、浮宝(船)が無ければ、困るだろう」 そして木を植えると、「杉とクスノキは船に使え」と言った。

この節に従えば、出雲族は、任那から筑紫へと渡った天孫族の系統ではなく、新羅から直接渡来したということになる。たしかに国引き神話は新羅との関係を考えるとわかりやすい。

もう一つ、なぜかスサノオは出雲に着くなり簸の川を遡り、中国山脈を越えようとしていることである。これはすでに出雲にはそれなりの先着者がいて、出雲定着をいったんは断念し吉備側に生活拠点をもとめようとしていたとも考えられる。

その先着者が銅鐸文明に属するものか、銅剣文明に属するものかは興味あるところである。