戦後の経済復興・成長の土台についてどんな説があるのかを紹介してみたい。

といっても難しい論文をいくつも読んで論評しようと言うのではない。

教えて! goo

の「解答」を並べてみただけだ。いわば床屋談義の集大成ということだ。「諸説」の「」はそういう意味だ。

文字通り諸説紛紛というか、百花繚乱というか、人それぞれだ。

戦後の経済困難がいかに克服されたか、という問題と、その後の高度経済成長を可能にしたものが混同されてる傾向がある。若い世代にとっては当然だろう。

また、現在の時代閉塞の状況と比べ高度成長の時代を憧れを持って見つめている雰囲気がある。我々世代の実感としては「よくやった」説ではなく、「うまく行っちゃった」説に傾くのだが。

まずはかたっぱしから挙げてみて、その上でいくつかの傾向にまとめられるものならまとめてみたい。


1.明治維新における身分制度の廃止

理由: 学歴をベースにした公平な社会が、適材適所を達成した。高い識字率を通じて国の意向が全国民に届いた。

2.高い貯蓄額、輸出主導と保護貿易、海外模倣と応用研究偏重、国防費負担の節約

ちょっと各論的話題も含まれるが。

3.インフラが健在だった

理由: この中の「戦争での工場などの損害は40%です」というのが初耳だった。6割残存を「健在」と見るかどうかは別の話になるが、昭和21年5月に八幡製鐵の工場が健在で操業していたのには驚いた。周囲はまったくの焼け野原だが。

4.東西冷戦の間で儲けた、憲法9条(平和の分前)、勤勉な国民性、財閥解体と農地解放による機会均等

理由: これはライシャワーの意見の紹介だそうだ。

4.安価な原油、金融市場の安定、平等な社会など8条件

理由: 記載なし

5.江戸時代からの蓄積

理由: ソフトは自前、ハードの技術を世界から取り寄せ接ぎ木しただけ。

6.上部構造の破滅がプラスに働く

理由: 人口集積地が「焼け野原」になり、既存の構造物や既得権益が殆ど0になったから。

7.アメリカとの同盟

理由: 戦後初期においてアメリカからの基礎知識、技術の導入が可能だった。

8.大量生産技術の導入(アメリカから)

理由: 高い教育水準、導入を阻害する既得権益者の焼失、導入を可能にする戦前からのシステム、低賃金

9.(羅列だが重複しない部分)1ドル360円の国際為替レート、米国の核の傘、労使関係、トランジスタなど技術供与、自民党単独政権で政治的安定、

10.(羅列だが重複しない部分)世界平和と自由貿易体制、人口が増えたこと、教育の質、旺盛な消費志向、株主の感覚の違い、

11.反共の防波堤としての育成

理由: アメリカは意図的な日本優遇策をとった。プラザ合意で終了。

12.高貯蓄率

理由: 先進国の総貯蓄のおよそ6割は日本。国内に貯蓄と言う形で資本が存在していた。国際収支(資本収支)は気にしなくてよかった。

13.軍事費(防衛費)GNP1%の壁。

理由: 不況のときは.無駄遣い(再生産されない消費)が必要ですが.好況の時の軍需費は経済発展の妨げにしかなりません。

14.アメリカ(豊かさ)へのあこがれ

理由:(この文章は秀逸なので、そのまま転載) 戦後の日本は荒廃し誰もが貧乏でした。そんな時外国(米国)映画を見ると車や若者の格好など豊かな姿をうらやましく見ていました。
自分たちもあのようになりたいという欲望を国民皆が持ちました。その欲望が活力となり、まじめに働いた結果だと思います。

15.愚かな政策の終結

理由: 日本が太平洋戦争に敗れた理由 1.英米を敵に回したため技術の移入が止まった。2.軍事優先の予算による財政圧迫。3.大陸の利権にこだわって近隣の国家、ついには英米をも敵に回した。

16.ハイパーインフレ

理由: 戦時国債を解消してしまった。円が他の通貨に比べて大幅に値下がりしたため輸出がしやすくなった。

17.アメリカに占領された幸運

18.戦災による設備のスクラップアンドビルト

19.朝鮮戦争特需

1950年から1952年までの3年間に特需として10億ドル(3600億円)。当時の日本の国家予算が8千億円。

20.ガリオア・エロア 「ララ物資」「ケア物資」

1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドル。そのうちの13億ドルは無償援助(贈与)であった。

ガリオア資金:米軍予算の一部を使って、旧敵国の民主化復興を支援するために設立され占領地救済政府基金(GARIOA:Government Appropriation for Relief in Occupied Area Fund)、、食糧・肥料・石油・医薬品など生活必要物資の緊急輸入という形で行われ、日本では、当初は貿易資金特別会計に繰り入れられ、貿易の補助金と して日本政府の裁量で運用されていたが、1949年からはドッジ・ラインの枠組みの中で西ドイツと同様に見返り資金としての計上を義務付けられた。
 エロア資金:占領地経済復興基金(EROA:Economic Rehabilitation in Occupied Areas)石炭や鉄鉱石、工業機械など生産物資の供給、綿花や羊毛などの輸入原料購入に充てられた。

「ララ物資」LARA(Licensed Agencies for Relief of Asia:公認アジア救済連盟) 戦後、日本を救済するために、アメリカはもとより、カナダ、中南米の各地から集まった資金や物資を一括し対日救援物資と して送り出す窓口として、1946年6月に結成されたNGOが、「ララ:LARA」であった。 そして同年11月、アメリカの有力NGOの協力を得て、輸 送を開始し、全てのララ物資は無事横浜港に到着したのである。
(推定では当時のお金で約400億円相当)
「ケア物資」 1945年の終戦直後、戦後、救済のために、アメリカで設立されたNGOの一つに「ケア」(CARE:Cooperative for Assistance and Relief Everywhere)があった。「ケア」は1948年にヨ-ロッパ以外ではじめて日本に事務所を開設し、救援活動を開始した。 1948年から55年に かけて、日本などに送られた「ケア物資」は金額にして5000万ドル(当時では180億円、現在の貨幣価値に換算すれば約4000億円)に達した。 その 内容は、食料品、菓子、コーヒー、紅茶、砂糖、および石鹸など日用品も含め多岐にわたるものであった。 このケア物資によって助けられた日本人は小中学生 をはじめ1,500万人に上った。

21.日本の高級官僚の権限の大きさ

内務省は解体されたが、その一部は経産省などで残っている。戦争協力官僚はパージされたが、殆どはそのまま居座った。

逆に公職追放で若い官僚が進出したという意見もある。

22.「吉田ドクトリン」なる伝説

23.共通規格化

朝鮮戦争の時に占領軍から共通規格化の指示があり、アメリカとの共通規格化が実現した。

戦争が終わったとき、これが払い下げられて、日本は最新の製造設備を獲得した。

東京タワーは朝鮮戦争のあとアメリカ軍が払い下げた戦車を溶かして作った(ほんまかいな?)

24.主要国の戦後賠償の放棄

第一次世界大戦でドイツに対して課した高額な賠償がドイツを戦争に走らせた要因となった反省から。

そのため敗戦国でありながら復興に必要な資金を確保できた。

25.第二の文明開化 三等国としての自覚

①ミッドウェーの電探(レーダー)性能差による敗北→②飛び石作戦によるB29大挙襲来→③長崎、広島の原爆→④敗戦→⑤日本人による日米生産能力差の認識→⑥戦後復興⑦→科学繊維の開発→⑧高度成長→⑨→日米基礎研究投資の差を認識、日本の国家予算による基礎研究重視

次は 疲れてきたので簡単に。

YAHOO 知恵袋

1.復興資金の提供

領地域救済政府基金(1946年)、ついで占領地域経済復興基金が供給された。双方の合計は現在価値で12兆円。

他に技術提供も行われた(どんな?)

2.既存構造の破壊による最適化

3.(結果として)インフラへの集中投資となり、投資効率が良かった

4.海外領土は赤字の要因であり、これを失ったことで効率化

5.ブレトンウッズ枠組みで自由市場へのアクセスが可能になった

戦争による人的被害は一般国民を含め268万人、人口の4%

資産的一般国富の被害は、生産財、消費財、交通財、建築物を含めて全体の25%にのぼり、終戦時の価格で 653億円といわれる。

戦災で失った住居家屋は220万戸、強制疎開を含めると戦前約1,400万戸の住居家屋は1,135万戸に減少していた。

明治以後 拡大した領土は失われ、ここに海外からの復員者・引揚者約600万人を受け入れての再建であった。

6.ドッジプランによるインフレの終息

7.進駐軍特需

占領軍のための飛行場の新設・整備、兵舎や家族用住宅の建築、高級将校用の接収住宅の改築など

 一面では詳細な仕様書、機械化工法、近代的管理、進んだ設備、安全衛生など多くのことを学ぶ機会