氷川丸と高砂丸の行動については、文章ごとに、細かいところに期日の異同がある。

こういう時はアメリカ文献の方が当てになる。

"IJN Hospital Ship Hikawa Maru: Tabular Record of Movement"

"IJN Hospital Ship Takasago Maru: Tabular Record of Movement"

より、紹介する。

氷川丸

氷川丸

1945年8月15日: 交戦停止。病院船HIKAWA MARUとそれより少し小さいTAKASAGO MARU(Scapjapナンバー H-022)は、戦争を乗り切った大きい日本の客船である。

1945年9月: 占領軍、HIKAWA MARUに対し南洋、中国とオランダ領東インド諸島から日本まで兵士と一般人を輸送する業務につくよう命令。

1945年9月10日: 舞鶴を出港。Milleに向かう。

1945年9月27日: Milleに到着する。本国へ送還される軍隊・人員を乗船させて、同じ日に出発する。

1945年10月7日: 浦賀に到着する。

1945年10月26日: 浦賀を出発。

1945年10月31日: ウェーク島に到着する。およそ1,000人の兵士を乗せる。その後Kusaieに到着する。復員兵士・人員を収容。

1945年11月12日: 浦賀に到着する。軍隊・人員を陸揚げする。

1945年11月15日: 浦賀造船で修理とメンテナンスを経る。

1946年1月2日: 1ヶ月半を経て、修理が完了する。浦賀を出港。

1946年1月6日: 基隆(台湾)に到着する。軍隊と乗客を乗船させる。

1946年1月14日: Wewak(ニューギニア)に到着する。軍隊と乗客を乗船させる。

1946年1月23日: 浦賀に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。

1946年2月2日: 浦賀を出港。

1946年2月6日: 基隆に到着する。軍隊と乗客を乗船させる。

1946年2月15日: Fauro島に到着する。軍隊と乗客を乗船させる。さらにTorokinaに向かう。軍隊と乗客を乗船させ、その日に出発する。

1946年2月27日: 浦賀に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。

1946年3月3日: 横浜港を出発。ラバウルに向かう。

1946年3月11日: Rabaulに到着する。軍隊と乗客を乗船させる。その後、基隆に向かい、軍隊と乗客を乗船させて、その日出発する。

1946年3月23日: 鹿児島に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。その日、出発する。

1946年3月28日: 釜山に到着する。軍隊と乗客を乗船させて、その日出港。

1946年3月31日: 浦賀に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。その後乾ドックに入る。

1946年5月6日: 1ヶ月にわたる修理が完了する。浦賀を出港。

1946年5月15日: メナドに到着する。軍隊と乗客を乗船させて、その日出発。その後、Morotai、Balikpapan(ボルネオ)、サマリンダ、Makassar(セレベス)、バリ(インドネシア)をへてMorotaiにもどる。

1946年6月16日: Otaka(大阪?)に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。

1946年6月23日: 呉を出港。上海に向かう。

1946年7月5日: 上海から浦賀に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。

これが最後の帰還業務となる。この後改装を行い、NYKに返還される。

高砂丸

高砂丸

1945年9月2日: TAKASAGO MARU、帰国義務を引き受ける最初の日本の船となる。芝浦を出港しカロリン諸島のWoleai島、Woleai島に向かう。

1945年9月19日: Mereyonに到着する。軍隊と乗客を乗船させて、その日出発する。

1945年9月25日: 別府に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。

1945年10月24日: 徳山を出港。ミンダナオ島ダヴァオに向かう。

1945年10月29日: Davaoに到着する。軍隊と乗客を乗船させて、その日出発。

1945年11月1日: 佐世保に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。

1945年11月16日: 佐世保を出港。ふたたびダヴァオに向かう。

1945年11月27日: マニラに到着する。軍隊と乗客を乗船させる。

1945年12月1日: 公式に呉のAllied Repatriation Service所属となる。

1945年12月10日: Otakaに到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。

1945年12月27日: Otakaを出発する。

1946年1月1日: Taclobanに到着する。軍隊と乗客を乗船させる。

1946年1月7日: マニラに到着する。軍隊と乗客を乗船させる。

1946年1月19日: 佐世保に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。この後、第二復員省の復員輸送艦に指定され中国からの引揚業務にあたる。
1946年1月30日: 10日間の修理を終え、佐世保を出港。上海に向かう。

1946年2月5日: 鹿児島に到着する。上海からの軍隊と乗客を陸揚げする。

1946年2月6日: 鹿児島を出港。ふたたび上海に向かう。

1946年2月13日: 鹿児島に到着する。上海からの軍隊と乗客を陸揚げする。

1946年2月24日: 佐世保を出港。上海に向かう。

1946年3月2日: 博多に到着する。上海からの軍隊と乗客を陸揚げする。

1946年3月4日: 博多を出港。塘沽(天津)に向かう。

1946年3月14日: 博多に到着する。塘沽(天津)からの軍隊と乗客を陸揚げする。この後、博多と塘沽の間をもう一往復。博多と上海の間を一往復。

1946年4月16日: 高雄に到着する。軍隊と乗客を乗船させる。

1946年4月23日: 佐世保に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。

1946年5月8日: 佐世保と塘沽の間を二往復する。

1946年6月5日: 神戸で修理に入る。

1946年6月26日: 3週間の修理を終え、神戸を出港。上海に向かう。

1946年7月7日: 佐世保に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。

1946年7月18日: 佐世保を出港。Korojima(天津)に向かう。

1946年8月4日: 佐世保に到着する。軍隊と乗客を陸揚げする。

1946年8月15日: 海軍List.から削除される

その後も高砂丸はナホトカ・舞鶴間、天津・舞鶴間の復員事業に参加している。1956年に名村造船に売却されスクラップとなった。

何か氷川丸と比べると、あまりにも差別されているような気がする。ブスは損だ。


どうでもいいけど、Otaka というのがわからなくて、グーグルで探したらこんな動画がありました。名古屋の大高はOdaka ですね。たしかに港の近くではありますが…

Fire fighting equipment being towed out of its underground revetment at an oil refinery in Otaka, Japan.

1946年5月30日に撮影した映像のようです。便所の汲み取りが珍しかったようで、長々と撮影しています。

追記: Otakaは大竹のようです。海兵団の跡地が利用されたのは佐世保と似ています。ここも41万人を受け入れています。