佐世保市のホームページから

引揚者は小船に乗りかえて浦頭(うらがしら)桟橋に上陸した。

引揚者は、し検疫(けんえき)を受けた。のみ、しらみ等の有害寄生虫(きせいちゅう)防除のため、DDTを身体中に吹きつけら れた。15歳から55歳までの女性は、婦人相談所で健康の問診を受けなければ「引揚証明書」が交付されなかった

引揚げのピークの21年1月~10月は毎月7万~12万人が上陸した。

厚生省の佐世保引揚援護局は、1日5,000人余を賄う元針尾海兵団内の 兵舎を援護局宿舎にあてた。収容人員は最高25,000人に達した。世話をする職員も1,000人を越えた。

引揚者は南風崎(はえのさき)駅から満員の引揚列車に乗り、故郷や親類縁者の家へと向かった。

やっと内地にたどり着いても栄養失調や病気で死んだ人が4,000人 もいた。その内半数は乳幼児だった。

引揚船内でコレラが流行し、佐世保港内に停船したまま何日も上陸できなかったこともあった。1ヶ月に600人の死者が出て、不眠不休で遺体の火葬を行ったこともあった。

ということで、浦頭とか南風崎などと馴染みのない地名が出てくる。そこで例によって地図を検索してみた。

南風崎

次に南風崎をウィキペディアでチェックする。

南風崎駅(はえのさきえき)は、長崎県佐世保市南風崎町にある、九州旅客鉄道(JR九州)大村線の駅である。
現在のハウステンボスの周辺に浦頭港という港があり、接続駅になっていた。太平洋戦争後、1945年(昭和20年)10月から1950年(昭和25年)4月まで、中国・東南アジア方面各地からの復員者・引揚者がこの駅より専用列車に乗り込んだことで有名。
昭和20年代初期の時刻表には、2 - 3往復の南風崎駅始発東京行きの普通列車(下りは早岐行き)が不定期列車として掲載されており、引揚援護局設置当時をしのぶことができる。

ということで、きわめて分かりやすい説明をありがとう。