前回のブログ記事は「海つばめ」というサイトからの二重引用であったが、本日は大谷さんの文章が直接読めた。

「貨幣資本と現実資本」(「資本論」第3部第30-32章)の草稿について…第3部第1稿の第5章から…

というものである。

はじめに

資本論第三部 第30章~第32章は、マルクスの第3部第1稿の「第5章」の一部を編集し、3つの章に振り分けたものである。

第1稿の第5章は、マルクスにより「利子と企業利得(産業利潤または商業利潤)への利潤の分裂。利子生み資本」と題されている。

第5章は (1)~(6) の六つの節から成っている。その内、(5)「信用。架空資本」の(Ⅰ)~(Ⅲ)の項が第25章~第35章に用いられている。

この内、第30~32章で使われているのは、(5)「信用。架空資本」の (Ⅲ)項にあたる部分である。

1.三つの章についてのエンゲルスの説明

「第30章から,ほんとうの困難が始まった」(エンゲルスの述懐)

30~32章は一応マルクスの記載を追ってあるが、33~35章はあちこちの断片をエンゲルスが独立した章に仕立てあげた。

2.MEGA版での扱い

省略

3.若干の基本的なタームについて

(5)節の「信用。架空資本」のうちの(Ⅲ) は本論の核心にあたるところである。したがって,ここで何をどのように論じているかを正確に読み取ることは,マルクスの利子・信用論の理解にとって決定的に重要である。

(1)貨幣資本(moniedCapital)

この部分の最も基本的なタームは、「貨幣資本」と「現実資本」である

<草稿>

信用に関する件のなかで、比類なく困難な問題は、第1に,本来の貨幣資本の過剰蓄積(プレトラ)である。

これは現実の資本蓄積(拡大再生産)の指標なのか,否か?

これは過剰生産と並立する現象なのか,それとも過剰生産の一つの表現にすぎないのか?

貨幣資本の過剰供給は,どの程度まで貨幣量(地金及び銀行券として停滞する貨幣量)の増大で表現されるのか?

<現行版>

ここでの問題はそもそも,どの程度まで貨幣資本の過剰が(あるいはもっと適切に言えば,どの程度まで貸付可能な貨幣資本の形態での資本の蓄積が),現実の蓄積と同時に生じるのか,ということである。

()内はエンゲルスの解釈であり、問題の「矮小化」である。マルクスの投げかけた疑問は削除されている。

マルクス(草稿)は別な場所でも同じ質問を繰り返す。

二つの問題に答えなければならない。

第1に,貨幣資本の蓄積は,生産的資本の蓄積とどのような関係にあるのか?

そして第2に,貨幣資本は,一国の貨幣量とはどのような関係にあるのか?

ここは現行版では割愛されている。

要するに,マルクスは「貨幣資本」という独自の資本が,一方で「現実資本」と,他方で「貨幣量」とどのような関連をもっているか,ということを問題にしているのである。

しかしこの「貨幣資本」という言葉は、現行版では大部分が「貸し付け資本」に置換されている。

この「貨幣資本」は第5節 「信用。架空資本」から明瞭に示されている。

<草稿>①

貨幣の払い出しや受け取りの操作は貨幣取扱業者の手に集中される。この土台のうえで信用制度などの側面が発展する。

それに結びついて、貨幣取扱業者の特殊的機能として、貨幣の貸借が彼らの特殊的業務になる。すなわち貨幣資本および利子生み資本の管理である。

彼らは貨幣資本の現実の貸し手と借り手とのあいだに媒介者としてはいってくる。

一方では、銀行業者は貨幣資本の貸し手の代表として産業資本家に相対するようになる。

他方では、彼らは商業界全体のために借りるという行為を通じて,すべての貸し手に相対して借り手の代表となる。

銀行は一面では貨幣資本の集中を表し、他面では借り手の集中を表す。

<草稿>②

トゥック,ウィルスン,等々がしている,Circulationと資本との区別は,そしてこの区別をするさいに,鋳貨としての流通手段と,貨幣と,貨幣資本と,利子生み資本とのあいだの諸区別が,乱雑に混同されるのであるが,次の二つのことに帰着する。

(ここは“海つばめ”さんが引用したところだ)

<草稿>②

「利子生み資本」の意味での moneyed Capital と、Geldcapital とを混同してはならない。Geldcapital は商品資本および生産的資本という形態とは区別されたものとしての貨幣資本なのである。

(おそらく現代であれば、マルクスはMonetarized Capital といったのではないだろうか)

ここで大谷さんによる定義

貨幣資本〔moniedCapital〕とは,信用制度のもとで,媒介者としての銀行業者が利子生み資本として貸し出す,貨幣形態にある資本である。

(これでは話がまたふりだしに戻りそうだ。これなら貨幣資本を「貸し付け資本」に置き換えてもあまり違いはない。貸すか借りるかは主要な問題ではない。大事なことは、そこに一種の資金市場が成立して、その結果集まってくるカネということではないか)