「海つばめ」という新左翼系サイトに『資本論』3巻28章の“怪”という文章がある。

大谷禎之介 「『流通手段と資本』の草稿について」に載せられた草稿と現行全集版を比較している。新左翼といえども悩みは同じとお見受けした。

1.28章冒頭について

<現行版>

通貨と資本との区別はトゥックやウィルソンなどによってなされており、そのさい貨幣、貨幣資本一般としての流通手段と利子生み資本としての流通手段との区別がごちゃまぜにされているのである

<草稿>

トゥック、ウィルソン等々がしている、通貨と資本との区別は、そしてこの区別をするにさいに、鋳貨としての流通手段と、貨幣と、貨幣資本と、利子生み資本とのあいだの区別が、乱雑に混同される

草稿では鋳貨、貨幣、貨幣資本、利子生み資本の4者が連鎖として語られている。(文法的には怪しいが…)

そしてトゥック、ウィルソンらは、この4者を混同していると批判している。

これに対して、エンゲルスは「貨幣資本一般としての流通手段と利子生み資本としての流通手段」に二大別してしまった。しかも「利子生み資本としての流通手段」という用語は二律背反である。

2.28章 フラートン批判

<現行版>

しかし、フラートンがやっているような対置は正しくない。

不況期を繁栄期から区別するものは、けっして彼の言うように貸付にたいする強い需要ではなく、こ の需要の充足が繁栄期には容易で、不況期に入ってからは困難だということである。

繁栄期に起きる信用組織の巨大な発展、したがってまた貸付資本にたいする 需要の激増、そしてまたこのような時期にはこの需要に供給が気前よく応ずるということ、実にこれこそは不況期の信用逼迫を招くものなのである。

だから貸付にたいする需要の大きさの相違がこの二つの時期を特徴づけるのではないのである

<草稿>

しかし、フラートンの対置は正しくない。

 貸付にたいする需要―貸付にたいする需要の量―が、繁栄期を反動期から区別するのではなく、貸付にたいするこの需要の充足が容易だということである。

それどころか、繁栄期のあいだの信用制度の、だからまた貸付の需要供給のすさまじい発展、これこそが反転期のあいだの逼迫を招くものなのである。

だから、この二つの時期を特徴づけるものは、貸付にたいする需要の量的な規模の相違ではないのである


マルクスが言っているのはきわめて単純で、反動期には信用収縮、いわゆるデレバレッジが起きるということである。それが資金の逼迫をもたらすのだ。

これは金融市場内で起こることで、直接的に実体経済の需給問題ではない。

エンゲルスはここが分かっていない可能性がある。

3.28章 イングランド銀行 (フラートン批判の2ページあと)

<現行版>

周知のように、イングランド銀行はその前貸をすべて自行の銀行券で行っている。

ところで、それにもかかわらず、通例この銀行の銀行券流通高は、その手持ち の割引手形や貸付担保の増加、つまりこの銀行が行う前貸の増加に比例して減少するとすれば、

―流通に投ぜられた銀行券はどうなるのか? それはどのよう にして銀行に還流するのか?

<草稿>

イングランド銀行はすべての貸付と割引とを自行の銀行券で行うので、これらの銀行券がどうなるのか、ということが問題になる。

私営銀行業者の場合には事情が異なる。

なぜなら、彼らはそのような場合に、イングランド銀行券を自分自身の銀行券の代わりとすることができるからである


草稿の方は、私営銀行の場合は二刀流でやれるが、中央銀行は自行の銀行券のみを扱うので、“いろいろ問題”がある

ということだろう。その頃は民間銀行も銀行券を出していたらしい。

ところがエンゲルスは“いろいろ問題”を書き足し、私営銀行の話を省略してしまった。

これは改ざんに近いと著者は言っている。私もそう思う。

4.28章 有価証券と通貨 (フラートン批判の10ページあと)

<現行版>

こういうわけで、流通手段の総量は不変であるか、または減少するのに、どうして銀行が担保として保有する有価証券の量が増大することができるのか、つま り、銀行からの貨幣融通を求めて殺到する増加需要にどうして応ずることができるかということは、まったく簡単に説明がつくのである。しかも、この流通手段 の総量はこのような貨幣欠乏の時期には二重の仕方で制限されるのである

<草稿>

ところで、われわれは銀行の有価証券(あるいは貨幣融通を求める圧迫の増大)と、それと同時に生じる通貨の総量の減少ないし停滞とを、二重の仕方で説明した

マルクスがいうのは、信用が拡大するのに通貨がそれに見合って増大しない訳のことである。(ここでは書かれていないが、金融市場が信用、金融商品を創出するからだ)

エンゲルスの記述は逆になっている。しかも商品流通市場の話になっている。つまりエンゲルスは金融市場の独立性を理解していないことになる。