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『資本論』第3巻第4及び第5篇はなぜ分かりにくいか

という文章があって、大変面白かった。以下抜粋して紹介する。

①第3巻第4篇は不完全

この篇では「商品を取り扱う資本」(商業資本)と「貨幣を取り扱う資本」(金融資本)に論及する。それらの社会的機能についての分析、およびそれらが享受する利潤の根拠が論じられる。

本来、金融資本は商品市場とは異なる「貨幣市場」(金融市場)の存在を前提とする。金融市場とは銀行間で商業手形などを売買する市場である。

しかしマルクスは貨幣貸借市場を論ずることなく終わっている。これでは社会的機能は分析できない。

もう一つの不完全さは、貨幣貸借は”利子”を前提とするが、マルクスは利子の問題に触れていないことである。

②利子の本質は短期金利

利子は短期の利子と長期の利子に分けられる。短期金利は銀行間の貨幣市場の存在のもとで決定される。短期金利を基準とし、それにリスク・プレミアムを加えたものが貸出金利となる。

したがって、それらの要素を分析しなければ金融資本の定義はできない。

③金融取引の発展形としての手形交換

ただし現実の金融市場は貨幣貸借を介する取引だけではない。それをはるかに上回る手形交換、債権債務関係の相殺機構があって初めて機能している。貨幣市場は手形交換によって生じる貨幣の過不足を調整する働きをしているとも言える。

④手形交換を基盤とする商業信用の発生

銀行間の貨幣市場を背景とした銀行の貸付業務は、非金融個別諸資本(産業資本及び商品取り扱い資本)の間での商業信用の発展につながっていく。

第4篇では商業信用についはほとんど触れられず、商業信用と貨幣信用との関連についても触れられていない。

②5篇の“利子(利子生み資本)”は別の利子である

第5篇で述べられているのは、貨幣の貸借ではなく、明らかに資本の貸借である。したがってここでの利子は”長期の利子”の話であって、短期の利子ではない。

ここでは「利子と利子生み資本」は資本・労働力関係)の隠蔽という観点から説明されている。資本所有の成果としての利子、資本機能の成果としての利潤、労働の報酬としての労賃という関係が明らかにされる。

「そういう側面があるよ」という話としては理解できても、それは社会的機能としての金融資本の本質論ではない。

第25章から再び貨幣取り扱い資本=銀行業者の話が語られる。しかし雑然としたノートの感を免れない。第30~31章貨幣資本と現実資本のⅠ~Ⅲや第35章貴金属及び為替相場は金融資本を直接論じていない。

第5篇については、まともなマルクスの草稿はない、ということを念頭に置くべきである。