移ろうままに

というブログに、遠藤三郎中将の『日中十五年戦争と私―国賊・赤の将軍と人はいう』の一部が掲載されているのを発見。

ブログに直接あたってもらえばよいのだが、なにか調子が悪いようなので、抄出・転載させていただく。

関東大震災の際は江東方面の警備に当てられ、孤立した数万の罹災者に独断深川の糧秣倉庫の米を分け、鮮人騒ぎの最中数千の鮮支人を習志野廠舎に護送して現 地司令官に叱られ、

二・二六事件には武力鎮圧に反対して単身反乱将校を訪ねて自首を勧め、自決した野中大尉を弔問して当局ににらまれ、

聯隊長の時部下一等兵の所罰問題で軍法会議と争い師団長から「現代の法規を無視し新たに法を作ろうとする悪思想の持主」と烙印を捺され、

関東軍副長の時中央の対ソ攻勢作戦に 反対して消極退嬰恐ソ病者として職を追われ、飛行団長として中支および東南亜の戦場に出されましたが皮肉にも四回も感状を授けられたことは面映いことでありました。

航空兵器総局長官の際は軍需産業を民間の営利事業に委するのを誤りとして国営に移し赤の将軍と呼ばれ、

本土決戦に反対して徹底抗戦組から狙われました。

終戦の詔勅を拝して冷静に帰った時の私の頭に浮かんで来たものは、「戦争は最大の罪悪」であり「軍隊は危険な存在」であり

「真の武は形になく心にあり、威武に屈せず富貴に淫しない心があれば軍隊の必要はないこと」、

そして「徳を以って勝つ者は栄え、力を以って勝つ者は滅ぶ」との古訓であり

「真の勝利は相手を暴力を以って打ちのめすことではなく、徳を以って相手を友にするにあり、正より強いものはない」という私の四十年に近い軍人生活の結論でありました。

敗戦直後軍備の全廃を日本の黎明と新聞に発表して軍人の激怒を買い、

巣鴨戦犯拘置所に入れられてはマッカーサー司令官に報復的野蛮の裁判と抗議し、

朝鮮動乱の際は「日本の再軍備反対と国際警察部隊設置の提唱」を公にして特審局から箝口令を敷かれ、

一九五五年に新中国を視察し速かに中国と国交を結ぶべきを訴 えて国賊と罵られました。

幸いにして日本の非武装は憲法に明示され、時の流れは日中の国交を正常化し、札幌裁判も自衛隊違憲の判決を下しました。

先のベトナム戦争も今回の中近東戦争も共に軍隊の価値の限界を示し、日本国憲法の正しさを証明しました。

私も恥なく祖先の許に行けると思います。