赤旗文化面に「詩壇」という囲み記事があった。
そこで詩人会議の主催する坪井繁晴賞の受賞作品が紹介されている。
熊井三郎詩集「誰か いますか」という。
その中の「海だけの海 」という詩…

「自分の領有権を争って戦争が起きてしまうことを悲しんだ小さな島が、海の底に沈んでしまう物語」だそうだ。

紹介者によると、
に似た文字だが、それと同じように飛び去れなかったのだ
としている。

それ以上のことは、この記事からは分からない。

そこでだ

大変無粋な話になってしまうが、いっそ尖閣を海に沈めてしまったらどうだろう。詩的に言えば「海の神様にお返し」するのだ。

そうすれば沖縄と中国本土の海上境界は中間線を引けばよいだけの話となる。まさにもめごとは水に流され、海は「海だけの海」となる。

日本にとっては若干割の悪い話だ。しかしそれで喉に刺さった骨がとれるなら、最終そろばんは合う。何よりも強欲で頭に血が上った中国にとって、なにか大事なことを考えるための良い教訓になる。

実は中国は韓国ともの領有権を巡って争っている。以前記事にしているが、名前は忘れた。こちらは干潮時のみ海面に顔を出すだけの、とも言えない岩礁だ。
韓国は日本相手には併合・植民地化の歴史を盾に竹島領有を主張するが、こちらは歴史問題など関係ないエゴだけの話だ。

親のわずかばかりの遺産の相続を巡って、兄弟が血を血で洗うような争いをしているのを見ると、「いっそお上に返納したら」と言いたくなる。カネは一時、縁は一生である。まして日中は永遠に一衣帯水なのだ。