王柯さんが行方不明になったという。

かなり心配なはなしである。王柯さんは神戸大学教授で中国人。

『東トルキスタン共和国研究 : 中国のイスラムと民族問題』という本を出していて、いかにも危なそうなところに片足突っ込んでいたからだ。

東トルキスタン共和国は1944年11月に誕生した国家で、新疆北部のイスラム国家である。

当時の中華民国の圧制への抵抗がソ連の支援を受けてイスラム共和国建設に至った。

しかし第二次世界大戦の終結とともに、中国との関係改善を図ったソ連が共和国への支援を中止した。この後、共和国政府は中華民国との交渉に入ったが、内部闘争を繰り返しながら、ついに消滅を余儀なくされた。(小松久男氏の紹介文より)

王柯さんはまさにこの東トルキスタン共和国の研究家で、ウィグル人居住地域を「中核的権益」とする中国政府にとっては、もっとも危険な人物の一人だったかもしれない。

ネットで探すと、以下の文章がゲットできた。

報告「中国における多様な民族主義を考える……中華民族の言説とジェディッディズムの成立過程を通じて」(小島祐輔氏報告に対するコメント)

「中華民族」はあくまで一種の言説であり、国民統合を実現させる万能薬にならない。

中国が「中華民族による国家であると強調すればするほど、虚構の「民族国家」であることが感じられ、近代国家としての正統性が問われることになる。

ジェディッディズムと呼ばれる運動の実態については未だに究明されていない部分がある。

しかし運動の主体は間違いなくウイグル人で、その舞台となったのはウイグル社会であった。そして、この運動において「東トルキスタン民族」と呼ばれる抽象的な民族共同体はなかった。

近代社会を研究対象とする際に、ナショナリズムまで分析の視野を広めるとしても、ナショナリズムを絶対視することはやはり避けるべきだろう。

と、やや論旨不明瞭ながらも、ウイグル問題を民族問題に局在化させないための、双方の努力を強調している。


東トルキスタン共和国については下記の論文が詳しい。

『理論研究誌 季刊中国』2001年春号
「イスラム教の動向と中国の民族問題」(下)
「東トルキスタン共和国の成立と崩壊」
野口 信彦

ウィキペディアの記載は、やや主観的な偏りを感じる。


おそらく中国指導部は、漢民族と少数民族の統合された国民国家として「中華民族」を使っているのだろうが、「中華」という枠に括られることを少数民族が任用するだろうか、という問題がある。

それと同時に、言葉としてでなく実体として多民族を統合した「中国国民」の枠づくりの営為そのものは、多民族の統合の手法として不可避であることも認めなければならない、という主張なのかと思う。

いずれにせよ、いまは王柯氏の無事を祈るばかりである。