最近の文献によると、民医連の組織には3つの特徴があるそうです。4つでも5つでも良いのですが、傍から見るかぎり、民医連は、まず何よりも旗印を掲げて闘う組織です。

闘うというと穏やかではないのですが、どこか“とんがって”いる、“とんがって”居続けるということでしょう。そして“とんがって”いることを自らの誇りとし、そこに人生の価値を見出そうとすることでしょう。

それは正義感の発露です。不正を憎み、許さない気持ちです。安倍首相みたいな人物を見ると、ムラムラと闘志が湧いてくるのがそれです。

もう一つの闘いは、ともすれば逃げたがる自分と闘うことです。民医連に入るということは、自ら旗印を掲げるということです。

自ら旗色を明らかにすることで、逃げ道を断ったはずだが、ついつい慣れ合って、いいかげんになる。そうすると、いざというとき闘えなくなります。

もう一つは見て見ぬふりをしないこと、思いを行動に移す腰の軽さです。そして人々に寄り添うことです。患者の痛みに寄り添い、老人の苦しみに寄り添い、就職難や奴隷労働、派遣切りの惨めさに寄り添うことです。

感性の豊かな人ならこんな作業は必要ないかもしれないが、私を含めて大抵の人はつい見て見ぬふりをしてしまう。


考えてみれば経営だって闘いです。組織を生きながらえさせるだけではない。闘う組織として研ぎ澄ますことも経営です。

私は日本航空の「再建」に乗り出した京セラの稲盛社長の言葉がずっと喉に引っかかっています。

「経営なくして安全なし」です。

正しいように見えるのだが、どこかにすり替えがある。

ずっと考えていてふと気づきました。稲盛社長はこう言うべきだったのです。「正しい経営なくして安全なし」と。

何が正しいかは分かりません。しかし正しさを求めて闘わなくてはいけないのす。闘えば敵が見える、己も見える、その中で誰に寄り添うべきかが見えてくるのではないでしょうか。

道東勤医協は創立40週年を迎えました。それは闘いの40年でした。それはほとんど物理的な闘いでもありました。闘いこそ民主主義の証であり、道東勤医協を特徴づける最大の旗印でした。

闘うことの3つの意義を考えるなら、よくぞ40年も闘ってきたといえます。それは40年も人々に寄り添い続けてきたことの証でもあるからです。

これからも突っ張れ、突っ張り続けろ、道東勤医協よ。