年表  毛沢東以前の人々


先日、佐藤純彌監督の文章を紹介した時、あまりにも20年代の中国共産党についての知識が乏しいことに、我ながら唖然とした。

そこで、「とりあえず簡単な年表でも」と思って始めたのだが、これが意外と難物。1週間を過ぎても、とても終わるどころではない。読まなければならない資料が積み重なるばかりだ。

一廉のことを言うにはもう2,3週間必要だろうと思うが、いささか疲れても来たので、とりあえず上梓する。

なお、長大なので最初からホームページと同時掲載にする。この後の増補はホームページのほうで行うので、とりあえずの予告編と思ってご覧いただければと思う。

1912年

1.01 「中華民国南京臨時政府」が成立。アジア最初の民主共和国となる。アメリカから帰国した孫文が臨時大総統に就任。国内の実質的な指導者は宋教仁であった。

2月 北洋軍閥の総帥である袁世凱が寝返り、清朝が崩壊。最後の皇帝、宣統帝が退位。

3月 袁世凱が臨時大総統に就任。臨時約法を公布。孫文政権は事態を静観。

3月 袁世凱は共和国樹立を約束しつつ、実際は「中華民国」の実権を奪おうとする。

8月 中国革命同盟会が国民党に改組される。

12月 初の国政選挙が行われ、大総統選では国民党の宋教仁が圧勝、国会議員選でも国民党が第一党となる。

 

1913年

3月 袁世凱、宋教仁を暗殺し。政権居座りを図る。

6月 国民党急進派が「討袁蜂起」を起こす。第二革命と呼ばれる。

7月 第二革命が失敗に終わる。

9月 孫文ら、日本に亡命。第二革命に加わった陳独秀も日本に逃れる。

10月 袁世凱、正式に大総統を名乗る。国民党に解散命令を発し、国民党議員全員を追放する。

1914年

6月 孫文、中華革命党結成。

7月 第一次世界大戦勃発。中国は中立を宣言。日本がドイツに対し宣戦布告。

8月 日本軍、山東半島に上陸し青島を制圧。

 

1915年

1月 日本政府、北京の袁世凱政府に「対華21か条要求」を突きつける。(山東省のドイツ権益継承と南満州・東内蒙古の鉄道・鉱山利権の割譲をもとめる)

5月 袁世凱の屈服により「21ヶ条条約」が締結される。

9.15 日本から戻った陳独秀が、上海で近代思想を紹介する『新青年』(初号は「青年雑誌」)を刊行。「新文化運動」を提唱し、徹底した儒教批判を行う。

魯迅・胡適らの「白話文運動」(白話文とは口語文のこと)も合流。著名な作家や学者、政治家を多く生み出した。毛沢東も愛読者で投稿者の一人だった。

12月 四川省を中心に護国戦争(第三革命)が勃発。

 

1916年

1月 袁世凱、帝政を復活し自ら皇帝に即位。国号を「中華帝国」とする。

3月 袁世凱、日本政府や国内各派の批判を受け退位。

6月 袁世凱が病死する。段祺瑞が後継者となる。この後、北洋軍閥は、日本の支持を受けた安徽派(段祺瑞)と英米の支持を受けた直隷派(馮国璋)に分裂。北京政府の権威は失墜し。満州には日本と結びついた張作霖、山西には閻錫山など、各地に軍閥・革命派・独立派が割拠する。

 

1917年

1月 北京大学の学長に蔡元培が就任し、大学改革を開始。陳独秀、胡適、李大釗、周作人(魯迅の弟)などの人材を結集する。

1912年,北京大学と改称したが,当時はまだ官吏養成機関としての性格が強かった。改革によりアカデミックな性格を強めた。五・四運動の先頭に立ったのは北京大学の学生であった。

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       蔡元培

1月 陳独秀の北京移転に伴い、『新青年』編集部も北京に移転する。

1月 胡適が《新青年》に「文学改良芻議」を発表。形骸化した文語文にかわって俗語・俗字を使用し,〈今日の文学〉をつくろうと主張。

2月 「新青年」翌号に陳独秀が「文学革命論」を発表。陳腐で難解な貴族古典文学を排し,社会現象を反映する平易な国民写実文学を提言する。

8月 孫文らによる第一次護法運動。西南軍閥の支持を取り付け、広州で広東軍政府を組織。

10月 ロシア革命が成立。労・農・兵ソビエト政権が誕生。

 

1918年

4月 湖南省長沙の第一師範で、毛沢東、蔡和森らが新文化運動に共鳴し「新民学会」を結成。主要メンバーは共産党や社会主義青年団に加わる。

蔡和森はこの年にフランス留学。フランスで周恩来らと共産主義運動をはじめた。21年帰国して中共に入党,機関誌「嚮導」の責任者として活躍した。
レーニンの帝国主義論をより直截に導入して,「中国革命が帝国主義の世界支配と直接対峙する性質を有する」と主張。

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 婚礼的女主角是向警予,男主角是蔡和森

5月 北京の段祺瑞政権と日本との間に秘密軍事協定が結ばれる。「学生救国会」成立され、全国各地で抗議行動を展開する。

日華軍事防敵協定: 日本軍の中国国内における行動を無制限とし、また中国軍を日本軍の下位におくこととする。

7月 李大釗、陳独秀とともに「毎週評論」を発行。

李大釗: 早大政治学科に留学。16年に帰国し北京で『晨鐘報』を創刊。翌年に蔡元培のすすめで北京大学教授、図書館長となる。(陳独秀が紹介した)
初期中国共産党の理論的指導者である。「フランス革命とロシア革命の比較」,「ボルシェビズムの勝利」などをたて続けに発表。十月革命をたたえ、マルクス=レーニン主義を紹介することで、中国共産主義運動の先駆者となった。
「中国の今日は、世界経済のうえでは世界のプロレタリア階級にならんとする地位に立っている」という「プロレタリア民族論」が有名。

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8月 日本がソビエト・ロシアに干渉しシベリアに出兵。

18年 魯迅、『新青年』に『狂人日記』を発表、胡適の唱えた白話文学を実践。

 

1919年

2月 ソ連、世界革命の実現のためコミンテルンを設立。各国に共産党を組織する活動を開始する。

3.01 朝鮮で反日民族運動「三・一マンセー運動」が発生。日本の弾圧で死傷者2万3000人を出す。

4.30 ベルサイユの戦勝国会議、山東省のドイツ権益を日本に譲渡することで合意。

4.01 北京の「晨報副刊」、淵泉訳「近世社会主義鼻祖馬克思之奮闘生涯」を連載。河上肇「マルクスの『資本論』」ほかの抄訳。5月には「馬克思的唯物史観」を掲載。これも河上肇「マルクスの唯物史観」の抄訳。

5.03 首都の学生代表が北京大学に集合。ベルサイユ条約の拒否を決議する。

列強が「ウィルソンの14ヶ条原則」を裏切ったことから怒りが爆発。ヴェルサイユ条約反対や親日派要人の罷免などを要求する。

5.04 中国で反日「五・四運動」が発生。北京13校の学生3千人が、天安門広場からデモ行進。一部が親日派の襲撃や焼き討ちに及ぶ。北京の軍閥政権は学生を多数逮捕し弾圧。

鄧中夏: 北京學生聯合會總務幹事として学生デモを指導。その後李大釗とともにマルクス主義研究会を組織。北京の共産党組織を立ち上げる。北京長辛店の工人運動に携わった後上海に移り党活動に専念。33年9月南京にて刑死。

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5.04 陳独秀は街頭でビラ配りをしているところを逮捕され、3ヶ月間にわたり勾留される。これを機に急速にマルクス主義に接近。

5.05 北京市内の学生は、5月4日を国恥の日とし、ストライキやデモを敢行。逮捕された学生の釈放、売国賊の罷免、講和条約調印拒否を要求する。

5.19 北京の中等以上の学校でストライキ。代表を全国各地へ派遣し、社会各層が広範に参加する全人民運動へと発展させる。

5月 李大釗らは『毎週評論』で、「パリ講和会議は列強の盗みとったものを振り分ける会議」だと批判。学生運動の機関紙としての役割を担う。

6.01 北洋政府、学生の行動を取り締まる方針を打ち出す。

6.03 全国主要都市で学生のストライキとデモ行進が決行される。

6.05 上海で「罷課」(大学スト)。これに呼応して罷市(商店スト)、罷工(労働者スト)の三罷闘争が起こる。港湾労働者は日本船の荷揚げを拒否。交通・通信労働者のストにより上海全市が麻痺状態となる。日本製品ボイコットは1年続く。

6.10 北京政権、逮捕した学生を釈放。

6.28 パリの中国代表団、政府の意向を無視しヴェルサイユ条約への調印を拒否する。

6月 直隷派の曹錕と呉佩孚、公然と学生運動を支持し、ヴェルサイユ条約調印反対を主張。さらに北京政府による南北武力統一路線への反対を公然と表明する。

8月 李大釗が「我的馬克思主義観」(「私のマルクス主義観」)を発表。マルクス主義の概要を紹介。批判的視点を含めてマルクス主義に対する見解を明らかにする。

10.10 孫文、中華革命党を中国国民党に改組。

12月 直隷派のボス馮国璋が死去。実権は曹錕と呉佩孚の手に移る。