トスカニーニのリマスターというのは散々聞かされた話だ。
最近では4,5年前に「オリジナルテープからのリマスタリング」というのがあって、それこそ「聞こえない音が聞こえた」という怪談話だ。
聞いてみたが、同じだ。
あれだけひどい音でLPにして発売して、本人も楽団員も文句を言わなかったのだから、所詮あれだけの音だろう。というより、あの音が本人の好みだったというしかない。
ライナーとシカゴのバルトーク「管弦楽のための協奏曲」がステレオ録音されたのは1955年のこと。その前の年までトスカニーニは現役だったのだから、どう考えても録音技師の責任とは思えない。

なぜこんなことを書くかというと、カンテルリの録音をまとめ聞きしたからだ。
カンテルリはレジスタンス戦士としての経歴もあってトスカニーニに可愛がられた。そして異例の若さでNBC交響楽団の副指揮者格となり、多くの演奏をこなした。
それが有難いことにネットでほぼ全て聴けるのだ。(自分で探してください)

例えば、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を聞いてほしい。NBC交響楽団との1951年の録音だ。多少低音が歪んだり高音がひしゃげたりはするが、立派な録音だ。ライナー盤の4年前としてはこんなものかと思う。

それが52年、53年と音がひどくなっていく。トスカニーニの音に近づいていく。

ここから先は私の想像だが、トスカニーニは録音に干渉したのではないか。90歳近くなって相当難聴は進んでいる。そういう人の耳には無機質な明晰さが全てであって、残響とか倍音などという余分な音は、聞き分ける上では障害でしかない。

録音を順番に聞いていくと、カンテッリもNBCとの関係が煮詰まってしまったようだ。そこでイギリスに移って、もっぱらフィルハーモニア管弦楽団を相手にするようになった。

どう考えても、フィルハーモニアよりは当時のNBCのほうが格上だ。給料だってはるかに良いはずだ。それにイギリス人と違ってアメリカ人は「良いものは良い」と受け入れるフランクさを持っている。

一般的に言えばどう考えてもイギリスに行く理由はない。トスカニーニと“彼の楽団”との関係を除けば。

トスカニーニは長生きしすぎた。彼の存在そのものがアメリカの音楽界にとって呪縛となった。(全盛期は知らないが…)
だからライナーもセルもワルターもパレーも田舎へ出て行って別の世界を作った。クレンペラーやホーレンシュタインはヨーロッパに戻った。
トスカニーニが引退して、まもなく亡くなって、みんなホッとしたのではないだろうか。
衣鉢を継ぐ人は誰一人いなかった。NBC交響楽団は名前を変えては見たものの、世界有数のオーケストラとしてはまことにあっけなく幕を閉じた。みんな嫌気が差していたのではないか。

今日、トスカニーニの演奏で取り立てて残されているものはない。セルとライナーが全部とってしまった。あとはせいぜいレスピーギのローマ三部作くらいのものである。

それにしてはずいぶん記念盤が発売されるが、多分それはトスカニーニというより、あの時代への郷愁がなせる現象であろう。