日本付近のプレートとその運動(サイスモ原稿)というPDFファイルがみつかった。先ほどと同じ瀬野徹三さんの文章だ。肩書は東京大学地震研究所教授となっているから、その後昇進されたようである。

その文章から、以下紹介する。


2.日本付近のプレート

日本列島はユーラシアプレートの一部と見なされていた。それは漠然としたものだった。

1976年にChapman and Solomon が、地質学的な分析に基づいて、北米プレートが北海道東部まで伸びているという考えをしめした。北米-ユーラシア境界は,北海道中部からサハリンを経て,北極海の中央海嶺に延びているとされた。

この提起はやがて“常識として受け入れられ”た。その際、北米-ユーラシアプレート境界は北海道中軸を通ると考えられた。

1983年頃中村一明と小林洋二が独立に,東北日本-北海道西部も北米プレートに含まれると主張した。ユーラシア・プレートとの境界は日本海東縁に移動された。

1983年の日本海中部地震を契機として、この認識は急速に受け入れられるようになった。

80年代のはじめころから、これとは別に、東アジアの陸域には大プレートとは異なる小プレートが存在するとの意見が、ロシアの研究者によって提唱された。それがオホーツク・プレートとアムール・プレートである。

引用終わり

ということで、正直かなりいい加減だと思う。

Chapman and Solomon の論文というが、76年の発表が、それ一発で決まってしまったんだろうか。
地質学的な分析に基づいて出した結論なら、少なくとも地質学的なデータの積み上げが必要だろう。
それにそもそも、これは地質屋さんの提起だ。地震屋が自分で出した学説ではない。それがわずか数年後には“常識”としてまかり通ってなってしまう学会というのは、一体どういう学会なのだろう。

第二に境界線の西への移動であるが、これも提唱してから1年後にはすでに“常識”化している。果たしてこのあまりにも早過ぎる“常識”化は、地質学的な吟味を経ているのだろうか。日本海の日本よりにはたしかに地震多発地帯があって、それが線状をなしていることは明らかだが、プレート境界線とそれとは明らかに異質の概念である。原著によれば、それは地質学的な差異をもって証明されるべきものであるはずだ。

第三に、これはプレート・テクトニクス理論の自己破産ではないか。そもそもプレート理論にそって議論すること自体が虚しいものとなる。

境界域でプレートの細分化をすることは決して悪いことではない。むしろ当然のことだろうと思う。ただプレートをその限界点での有り様として細分化することは、決して「大プレート」を解体することではないと思う。もっと丁寧な議論が必要だ。

それにしても、この学会には本当に学問の自由と民主主義があるのだろうかと気になってしまう。