古本屋に行くとけっこう「現代思想」という雑誌が並んでいたものだ。
たいていはなんだか訳の分からない講釈が垂れてあって、「どうだ難しいだろう」と上から目線で迫ってきた。
たしかに難しかったが、半分は紹介者の悪文の故であったろう。
危険なのは難解趣味がいつの間にか移ってしまうことだ。変に性格が柔軟だから、感化されやすい。
しかし思考を一塊のブロックとして処理する際には便利だからつい使ってしまうところがある。

閑話休題
その雑誌に佐藤純彌監督が連載でエッセイを書いていて、これが分かりやすく面白い。
ついそれが読みたくて「現代思想」を買ってしまう。といっても古本屋だから一山買っても2,3千円だ。映画より安い。
連載の題名は「映画の作り方」
これの83年3月号が「台本の論理 その3」というもので、日中合作映画「未完の対局」の台本作りに関わるエピソードだが、時代背景の研究にのめり込んでいる。

多分余程のことがないと原文を見るチャンスはないと思うので、少し紹介する。

…僕が北京に到着した1981年3月の時点の中国は、江青、張春橋、姚文元、王洪文の4人組に判決が下りた直後であり、プロレタリア文化大革命および毛沢東に対する統一評価を発表すべく、6中全会の準備作業の真っ最中であり、…軍と党の間に評価の対立が生まれ、文芸作家たちが軍の批判に抵抗しつつあった時期であり、やがてそれは「苦恋問題」として大きな呼びおこすことになる。
…中国映画界は、1949年の共和国成立以来…ソ連の指導のもとに発展した。映画学院の教科書はソ連のものであり、ロシア語は必修科目だった。そして、現在、指導的立場にいる映画人の相当多数がソ連留学経験者であった。
…「紅都女帝」と称された江青は、30年代上海で藍頻という芸名で女優をしていたことは確からしいが、本人は有望な新進女優だったと言い、多くの評伝では三流女優にしか過ぎなかったという。
…中国共産党員であったが、1935年に党を除名され、37年、上海を脱出、毛沢東がこもる延安に潜入した。

と、ここまでが書き出しである。
まことに見事なものである。というのも全く関係のない事柄を何の説明もなく書き連ねながら、どことなく差し迫った、容易ならない時代の気分を湛え、その中から江青という人物を鮮やかに登場させている。
叙述には無駄がなく、筋肉質の迫力がある
こういうのを筆力と言うんでしょうね。

ここから時代背景の説明に入るが、じつに息を継がせぬ面白さ…
しかしここまでやっていると、とても追いつかない。
別の文章にして自分なりに調べもして、いずれアップしたい。
そこで一気に最後の段落。

上海の江青はトロツキストとして除名される。
江青は、終生、この時のことを恨みに思い、1966年文化大革命以後権力を握ると、全映画界を粛清する。
北京撮影所はソ連修正主義の巣窟だと閉鎖させ、映画界の指導的幹部、著明俳優を誰かれの区別なく労働改造学校に放り込む。撮影所長は文革の10年映画を作らなかったが、豚の飼育と田植えではベテランになったと笑い、若き江青が片思いしてふられた趙丹も、その妻黄宗恵も、赤い帽子を被せられて街中を引き回されたと、涙を浮かべながら語った。
「革命という言葉を聞いて連想するのは文化大革命のこと」と話してくれた40歳の男に、「文化大革命とは何だったのか」と尋ねると、しばらく間があって、「内乱」と一言答えが返って来た。

あの頃のことを思い出してしまう。
こんな女がのさばったのが文化大革命という時代だった。そして彼女を偏愛し、勝手放題に振る舞わせたのが毛沢東だった。
それだけでも毛沢東など許せないと思うが、未だに中国は毛沢東に対して口をつぐんだままである。
昭和天皇に対して日本国民が口をつぐみ続けたのと同じような力が、そこには反映されているのだろうか。