「科学技術動向 2009年6月号」 に掲載された

 「生体の遺伝子発現制御機構である エピジェネティクス研究の最近の動向」(伊藤裕子) というレポートから写真を転載させていただく。

 

医学に関連した論及もあったのでついでに紹介させていただく。

エピジェネティクスと医学

 生物は発生・分化の各段階において、必要なゲノムの遺伝子を発現させ不要な遺伝子の発現を止めるという調節を行っている。

 この調節により、同じゲノムを持つ細胞が心臓や肺や脳神経など形も機能も異なる組織や臓器に分化する。そしてその状態で長く維持される。これもエピジェネティクスの例である。

 逆に病気にも関係している。エピジェネティクスには可塑性があり、一度決定された遺伝子発現の状態が外部刺激や老化などで変化してしまうことがある。これは“エピジェネティクスの破綻”と呼ばれ、病気の発症と関連している。

 一方、このような可塑性は、病気の治療に利用できるのではないかと考えられている。再生医学でもエピジェネティクス研究の発展が期待されている。全能性をもつ細胞から、目的の細胞や臓器をつくるには、エピジェネティクスの知識が不可欠だからである。

 遺伝子発現のメカニズムには、「ゲノムDNAのメチル化」以外にも様々なものがあるが、そのメカニズムにはまだ不明な部分も多い。

エピジェネティクス疾患研究

(1) がん発症の理解

 様々な種類のがんで、複数のがん関連遺伝子上にDNAメチル化の異常がみられる。これについては1990年代頃から多くの報告がなされており、がん発症とエピジェネティクスの関係に注目が集まっている。

 特に、胃がんはエピジェネティクスの関与が大きい。ピロリ菌の感染によって、胃粘膜にエピジェネティクスの異常が誘発される。

胃がんでは高頻度にDNAメチル化が生じる。7遺伝子8領域について、ピロリ菌感染陽性者と陰性者から採取した胃粘膜を解析したところ、感染者は5~303倍もの高いメチル化の状態をしめした。さらに、ピロリ菌の除菌後に特定の遺伝子ではメチル化の程度が下がる。胃がんの他に、大腸がん、乳がん、腎がんで類似の知見が得られている。

(2) 精神疾患の発症や行動異常との関連性

 近年、精神神経疾患においても、エピジェネティクスの破綻が発症に関わっているのではないかと考えられている。

双極性障害(躁うつ病)は父母のどちらから遺伝したのかによって症状や発症年齢が異なる。このためゲノムインプリンティングとの関連性が想定されている。

精神発達障害では、エピジェネティクスに関連する遺伝子の先天的な異常が原因で生じる疾患が、9疾患ほど知られている。

虐待により脳の精神ストレス耐性遺伝子であるグルココルチコロイド受容体遺伝子がメチル化されて、遺伝子発現が低下し、将来的に行動異常が出現する。

いずれにおいてもまだ推定の段階で、明確なエピジェネティクスとの関連性はわかっていない。

(3) 生活習慣病の発症との関連性

 近年、成人病胎児期発症説;FOAD説が提唱されている。胎児が臨界期に低栄養または過量栄養に暴露されることで、DNAメチル化などのエピジェネティクスの変化が誘導されるという。このエピジェネティクス変化は、その後の何世代にもわたり受け継がれるそうだ。

4-3 エピジェネティクス創薬

 エピジェネティクスを標的とした医薬品として、がんに対する治療薬の開発が進められている。特に、DNAメチル基転移酵素(DNMT)の阻害薬やヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の阻害薬において成果が示されている。

2009年5月現在で、商品として市場に出ているエピジェネティクス医薬品は3品あり、いずれも米国で承認されている。