言語学とは何か? また何であるべきか?――異端的研究者の見解」という論文があった。

黒田航さんという方の「論争的な文章」である。

専門家同士の議論を前提にしているので、私のような素人にはきつい。しかし私の率直な疑問に答えてくれているので、分かる範囲で紹介する。

Ⅰ はじめに

私は言語の研究者だが,自分が「言語学者」なのかには自信がない.「言語学者」と呼ばれる人々がやっていることからはズレているように感じている.

私の言語の見方が違っているらしい。言語学という分野に何を期待するのかも違うらしい.

Ⅱ コトバという対象の実体化の是非

1.コトバの見方の大別

言語に関心をもつ人は少なくない.だが,関心のあり様は一様ではない.関心は二つに大別できる。

a)実体論指向 b)行為論指向

圧倒的多数は実体論指向だ。行為論指向は「正統」な言語学の範囲内にはない.言語学者からは言語学だと見なされない.

2.視点の統合

私は行為論指向である。従って正統的な言語学研究者ではない。しかし実体論指向を否定はしない。したがって統合論を指向する。

統合論指向とは、コトバがもつ使用価値とコトバの実体性との関係に関心を寄せる研究である。

コトバの実体性と利用価値の二つの側面は分離不可能だと考えている。

「行為」というのは言語の「はたらき」ということですね。そう言ってくれるとよく分かります。

私の関心の中心は,言語活動を生物種としてのヒトの行動の一部としての記述し,説明するような科学的知識の体系の確立である.

ヒトの活動の一部としての言語活動に関心があり、その産物としての言語実体の静的な記述には興味ない。

この後、ウィトゲンシュタインを引用して言語=ゲーム論が展開されるが略します。

言語学は,コトバというゲームのルールの説明なのか、それともプレーの体系の説明なのか。私は後者だと思う。ルールはゲームの内容から派生的に生じるものでしかない。

さらにコトバは言語活動というゲームのための技能(Skill)でもある。

3.コトバは自然選択の産物

コトバは慣習性に依拠した「流動的なシステム」である。ヒトの生活という「環境」に応じて自然選択されてきた.

コトバはシステムではあるが、多くの言語の研究者が思っているほどは体系的(systematic) ではない。

複雑系にも限定的な規則性はある.問題はその規則性が本質的なものかどうかだ。

4.生半可なコトバの構成論への拒絶

コトバというシステムが何によって,どのように構成されているかはわかっていない。

Ⅲ 私がコトバを研究している理由

省略

Ⅳ 言語理論の応用可能性

1.妥当性と有効性

理論なしで事実を「正しく」理解することは難しい.

数式や形式論理に乗っていない理論は妥当性を評価できないという主張があるが、形式化は明示化の一つの形態でしかない.

理論の妥当性とは別の基準として,理論の有効性も同時に考える必要がある。有効性を決めるものは理論ではない.それは応用である。

言語理論は言語学外部からの需要や期待に応えるべきであり,それができない理論は妥当でない理論だ。

なぜ,正しさとは別に有用性の評価軸を設定するのか?

第一の理由は,理論というのは常に理想化を行なうからである.その理想化か適切かどうかは,有効性=応用的価値を確認しない限り,わからない.

第二の理由は,理想化の妥当性を決めるのに十分な量の事実が存在しない場合である。そのときにとりあえず「最良」の理論を選ぶためには、正しさとは別の次元が基準となる。それが有効性の基準である.

2.どうやって言語理論の有効性を試すか?

省略

3.注意Ⅰ

記述的妥当性(妥当性のある前後経過)をもつ理論はすべて,事物を正しく分類するのに役に立つ。すなわち応用的価値をもつ.

私は言語学が、もう少し人の役に立つ研究分野になって欲しいと思う.言語学者は人々が何を知りたいのか考えるべきだ.それを知らないで有用な研究を行なうことは無理だ.

4.注意Ⅱ

いわゆる「言語学者」の大半は語学教師であり,かつ,その大半が英語教師である.これが日本の言語学の進歩と進化にとって非常によくない影響をもっている。

日本の言語学会で理論や学派の「自然淘汰」が起きていない根本的原因がそこにある.なぜなら,求められている人材は言語学の教育者として優秀な人材ではないからである。

いわゆる「生成言語学」がこれまで日本の大学の英語教官のポストを占有して来た本当の理由はここにある。

5. 言語学が言語科学になるには何が必要か?

言語学はせいぜい文系研究者の暇つぶしである.それは大学に在籍し主に英語を教えている教官の自己満足以外の何の役にも立っていない.

言語学の理論は元々誤った理論であるか,少なくとも説明力の不足した理論でしかない。

言語学の数学化の試みに関して言えば,もっとひどい影響しかない.

正直なところ,私は国際学会を含めて言語学系の学会に参加して,有意義だと感じたことはほとんどない。

私は経験科学としての言語(科) 学は,生物学のように,「地味」な研究が主役を演じるような分野であると思う.