明治大学 平和教育登戸研究所 資料館館長

山田朗さんの講演から

登戸研究所は陸軍の施設で、終戦時に861名のスタッフを擁する大規模な機関であった。それはいわゆる「秘密戦」の研究にあたった。

「秘密戦」とは、防諜・重宝・謀略・宣伝の4種類の作戦を指す。登戸研究所では、そのための資材や兵器が開発された。

登戸にはもう一つの機関が併設された。それが「後方勤務要員養成所」であり、一般には陸軍中野学校と呼ばれている。

それは「秘密戦」の要員養成機関であり、登戸研究所とは表裏一体のものであった。戦局が悪化するに従いこの二つの機関は融合していく。

 

主な作戦

1.日中戦争期: 

上海や香港を舞台にした、英米仏ソに対する情報戦。

2.アジア・太平洋戦争期: 

海南島でのビルマ独立派の軍事訓練。

スパイを日系人に紛れ込ませて米国内に潜入。

3.戦争後期: 

対インド工作に最多の人員を投入。

日本軍撤退地域に残置工作員を配置し、後方撹乱と連絡に当たらせる。

4.戦争末期: 

沖縄で防諜作戦を展開。一般住民をスパイとし殺害。

松代大本営の建設。

太平洋横断型風船爆弾(牛疫ウィルスを搭載する計画もあった)

本土決戦用の粘土爆弾の製造

 

山田朗さんの結論

「戦争で科学技術が利用され、戦争の大義名分の前に、人間は良心や倫理を失いました。秘密戦が実は戦争の本質を示しています。