原著 Man the Hunted に対する書評が見つかりました。

By Dr. Lee D. Carlson

正直言って、これが書評というものでしょう。

数学的・統計学的視点からみて、近代のもっとも不当な信念のうちの1つは、人間がキラー種族だということである。

残念なことに、この神話は世間的、科学的カルチャーに埋めこまれて、人間のおよび霊長類への完全にゆがめられた見方をもたらした。

これまでの歴史を通して、実際に他人を殺した人間の数はきわめて少ない、そして、人間の間の戦争は実際にはきわめて稀だ。

それでも、我々は何度も何度も聞かされる。「人間が生来的に殺人、暴力の傾向を持つ」と。

よい知らせは、最近、そのような視点が一部の人類学者と社会心理学者によって疑問符を投げかけられているとういうことだ。その内の2人がこの本の著者たちである。

彼らは化石上の証拠を提示して、人間と他の霊長類が本来、暴力的でないということを示した。それだけでなく、人間の本性についての建設的議論も提示した。すなわち、人間の行動パターンは襲撃者 (Predator) に身を晒し続けたことの結果もたらされたものだということである。

この本はファシネイティングな読み物である。"Man the Hunter" パラダイムを受け入れてきた読者は、その信仰体系への強烈な挑戦を見いだすだろう。

この本を読み終えたとき、リフレッシュされる思いである。それはこの本がまさに"Man the Hunter" パラダイムに全力で立ち向かっているからである。

この本で、著者らは一つの質問を投げかけた。「人類の進化は狩りの能力の向上によって形成されたのか、それとも食べられることを避けるために発達した生き残り術によって形成されたのか」ということだ。

著者らは、人間と霊長類への襲撃を示す化石上の記録、現代における知見を詳述することに、本の大部分を費やしている。

著者らは学問的に誠実である。定量的データがまだまばらでしかないことをはっきり認めている。そして、その代わりに現代における霊長類への襲撃例を積み上げて、大昔のヒト族への襲撃頻度を類推しようとしている。

捕食者と被食者との遭遇における敗者の化石は利用できる。しかしそれでは決定的な数字を引き出すには不十分だ。襲撃の頻度、襲撃者を裏をかく戦略が成功したのか否かに関する確かな情報が不足している。

著者らが分析の例として指摘するのは、チンパンジーの研究である。これまでのすべての観察をまとめると、チンパンジーによる殺害の発生は、8.5-17年ごとに1回という僅かなものだ。

「チンパンジーが天成の殺人者である」という断定は、その程度のものを根拠としているに過ぎない。

著者らはまた、以下の事実も指摘する。ただし、残念ながらリファレンスは与えられていない。

「異種間の攻撃についての神経生理学の現在の研究は、これらの攻撃形態が人間同士で巻き起こされる暴力とは非常に異なっていることを示している」

その重要性からして、またそれが著者らの主張を力づける可能性からして、著者らはこの点に関する研究報告を引用すれば非常に有用であっただろう。

この本の "The Other 50%" という章はもっとも示唆に富んだセクションだ。著者らは「女性」対「男性」という性差を無視しがちな現代科学の枠組みにとらわれず、“雌”の霊長類グループにおける行動を提示する。

なぜ、人類学的な研究において女性の行動は常に無視されるだろうか?

歴史の記録は明らかにする。女性はつねに男性より非暴力的だった。そして大部分の男性(事実、圧倒的な大多数)は暴力的でなかった。

この章はまた、一つの意見を持ち出す。それは自然人類学者 Adrienne Zihlman の研究である。Zihlman は早期のヒト科の社会において、女性が若者の社会参加のほとんどの場面を統括していたこと、彼女らが群れの知識の集約者であったこと、などを示している。

この研究で最も面白いことは、女性が性的なパートナーを選ぶにあたり、より攻撃的でない男性を好むことである。それはしばしば現代に於いて断定される事実とはまったく逆である。

他にこの本の面白い議論または事実は、以下を含む:

1.頭蓋容量の巨大な変化

最初の人属(H. habilis) からホモ・エレクトスまでの間に300ML 増加している。著者らは10万年ごとに20ML づつ脳組織が増加しているというリサーチを引用している。

2.踊り子としての人間(Man the Dancer)仮説

著者一流の皮肉である。それは "Man the Hunter" ドグマに対する面白い反例として用いられている。

例えば向かい合ってのセックス、協力、言葉と歌、二足歩行などの行動は、「踊りたい」という本能的傾向によって説明できる。狩りの願望などを持ち出す必要はない。そのことを著者らはユーモラスに強調してみせるのである。

このような“陽気な方法”で、彼らは "Man the Hunter" ドグマの不合理さを暴露していくのである。

3.2足歩行についての6つの異なる説明と詳細な議論:

carrying, vigilance, heat-dissipation, energy-efficiency, display, and foraging

著者は慎重である。これらの説明のいずれも二足歩行の理由の説明にはなっていないと指摘する。むしろ我々の先祖は二足歩行への『前適応だった』のではないか。

その上で、たとえば食べ物や道具を運ぶ、食べる間まっすぐに座るなどいくつかの要素が二足歩行を有利にしたのではないかと述べている。

4.知性の優位性は、捕食者に対処する上で発揮された

彼らの主張によれば、ヒト属の最も早い段階では、「襲撃場面」に直面して捕食者にどう対応するかというとき、もっとも知能が要求された。

そこで疑問だが、なぜ、大多数の科学者と「一般大衆」は、人間の先祖が血に飢えた殺人者であったという見方を認めるのだろうか。

著者らは3つの理由を上げる。現代の人間についての西洋流の`perverted' な見方、キリスト教的な「原罪」の観念、そして`sloppy science' である。

彼らはひとつの章をまるごと、これらの理由の仕上げに捧げている。彼らの議論は説得力がある。

彼らの考えが現在の hunter-killer paradigm に取り代わるのかどうか、それは時間が決めるだろう。

望むらくは、これらの考え、あるいはより良い考えが公式化されることを。そのためには、より多くの証拠が利用できるようになるまでの時が必要だ。