非ポリス的なもの: ヨーロッパの源としての中世

ハンナ・アーレントの立論は、ギリシャの市民たちの理想社会、中世の暗黒社会(アウグスティヌスを例外とする)、そして殺伐たる近代社会とその帰結としてのボルシェビズムという対比で進んでいく。

ある意味でそれはヨーロッパの知的エリートに通底する文明観なのかもしれない。マルクスも唯物史観のもとに似たような図式を描いた。ただし末期には明らかにその変更を試みていたが…(ザスーリッチへの手紙参照)

そこには無知と停滞とに彩られた「暗黒の中世」というイメージが浮かび上がる。しかし私には、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンを通じて浮かび上がる、「智恵」としての中世のナチュラリズムがズシンとあるから、そこには生きた弁証法 があると思うから、アーレントに同化できないのである。(智恵というのはアーレントの言うとおり無名性のものである)

いのち、人間、共同体、いとなみ…それらが無限の繰り返しの中から織り出す倫理システム。これこそがアーレントが非難してやまない「ボルシェビズム」の淵源なのではないか、ふとそういう気がする。

もう20年も前にトマス・シッパーゲスの「中世の医学」を夢中になって読んで、抜粋ノートを作成したのが残っていた。少し並べ替えをして読みやすくしてアップする。シッパーゲスからの引用はほとんどがヒルデガルトからのものだが、他の“医師たち”の発言も混じっている。シッパーゲスの見解も混じっている。

いまとなっては区別できない。「中世」という時代が語っているものとお考えいただきたい。

1.人間とはなにか

宿命と決断

全体としての人間はこの世界の網目のなかに組み込まれている.

何世代にもわたって,この緊密な構造のなかで遺伝されてきた素質と,彼の環境とのさまざまなかかわりから生じる宿命のなかで、彼はその生活を送らなければならぬ.

彼は広範囲にわたって宇宙的諸力に規定されているだけではなく,彼もまた自己の 力によって,世界を形成し,あらゆる自由をもってみずからを導き,完全な責任において決断せねばならぬ.

人は受肉したロゴスである

彼は人間という有機体の、あらゆる形成物において遭遇するところの,受肉したロゴス(具現化した摂理)の象徴である.このようにして肉体と魂の両者は,唯一の現実として実存する.

かくて人間は、そのはじめからかくのごとく形成されている.上も下も,外も内も,彼は肉体として存在する.彼は隅ずみまで肉体である.そしてこれこそが人間の本質である.人間はこのようなしかたで存在するのである.

肉体は限界であるが、単純な限界ではない。それは普遍的な媒介者である。それによって,われわれは全世界を肉体的にわれわれの内に獲得し所有するのである.

我々は世界をつかむことが出来る

かくてわれわれの胃は世界をつかむことがで きる.全世界空間は巨大な胃袋にほかならないのだから.世界の素材の兵器庫としてのこの胃は,われわれの実存的な世界との結合に役立つ.それゆえに胃は絶えず被造物の内なる諸力をもとめ,これを摂取してはふたたび放出し,かくてこの宇宙的通信が維持される.

われわれの飲食とはもともと,われわれの(天国的)実存においては,ただ諸要素の理論的交換,つまり宇宙的対話,世界との通信に資するもの(味わう とか賞味するとか)であったのに過ぎない.ところがいまや明らかに,あらゆるわれわれの食事は回復,日々の復活の試みに役立っている.

この二つの事実は,一生のあいだわれわれの生理学的体質を,われわれの根本的な健康を思い出させるものであり,またこの両者はわれわれの病理学的欠陥の,われわれの現在の緊急事態の症状でもある.

また この両者は回復への,期待される治癒の到来への示唆なのである.生理と考えているもの(例えば空腹)も天国的実存からすれば病理にほかならない。

人は五感から出発して全世界を知リ、支配する

このようにして神は人間を自然のあらゆる諸力によって強化された.神は人間を創造の武具でかためられた.人間はその五感から出発して全世界を知り, 区別し,世界から栄養を与えられ,世界を支配できるのである.かくして人間は,あらゆる被造物の創造主として存在される真の神の認識に達すべきである.

……

2.病とはなにか

人間は欠陥状態にいる

根本的に異なる創造を背景としてのみ,(堕落した)人間の現在的な状況をも把握することができる.なぜなら人間は明らかに不幸な状態に,誤った関係に,欠陥状態にいるからである.

彼は衰弱し,苦悩し,虚弱で助けを必要としており,真に「ホモ・パツィエンス」つまり「病める人間」であり,救済をもと め,苦悩の転回をもとめている.(失楽園)

人間は堕落し反逆者となった

いまや人間は堕落とともに宇宙の麗しき秩序を破壊し,あらゆる元素は混乱におちいった.

諸元素そのものが荒々しく叫んで訴える.「われらは,もはや 自己に定められたように自己の道を走ることも完成することもできない.なぜなら人間どもは彼らの悪行によってわれわれを粉砕機に入れたかのようにくるくる 回転させるからである.彼らはすでにペストのように異臭を放ち,飢餓のため正義の前から消え去るのだ」

諸元素は告発する.いかなる被造物もその創造者のみもとへ帰らんと努力しているのに,ただひとり人間のみが反逆者である.彼は創造に逆らって立ち,いわば全自然の被造物の多くを破壊している,と.(人間は自然の摂理にたいする反逆者である)

……

病は欠陥状態の象徴である

病んでいるということは欠如であり,過誤であり,存在の欠乏であり,変形かつ変質であり,過小であり逸脱であって,いずれにせよつねに消極的にのみ定義さるべき状態(欠如態)であって,現在の病理学が期待するような疾病過程ではない.

むしろ過程の正反対であって,中止,中断であり,錯誤であり失策行動である.

これに反して健康こそ過程として積極的に理解され,それは全世界を進行せしめ,保持し,あるいは回復せしめる秩序なのである.(病気が病理過程 としてではなく生活過程として理解されている)

それにもかかわらず,あらゆる病的状態は根源の状態,われわれの「健全な状態」の想起に役立つだけでなく,終末状態における最後の使命への示唆でもある.あらゆる疾病は治癒への,そして結局のところ救いへの示唆なのである.

……

人は巡礼へと旅立つ

堕落した状態においてもまた,人間は宇宙の中心にとどまり,救いへと出立する.人間は本性上,また世をあげてすべて途上にあり,巡礼者であり,求道 者であり,俗世の憂慮の十字路にあり,そしていまや彼は節度,中庸,目的,意味をもとめている.彼は恩寵の境遇にあることを欲し,救いの自由にあることを 欲する.彼は「健やか」でありたいのだ.

……

3.人間の生とはなにか

ホモ・オペランスとしての人

神の創造の御業として人間はその起源から最上の状態にあり,それによって世界における優先的な地位を持っている.形成する存在(ホモ・オペランス) として人間は招かれており,あらゆる被造物を代表すべきであり,宇宙の鏡として彼は世界との永続的な対話をかたり,それによって人間は世界の創造に,あるいはその救済の使命に責任を持たねばならぬ.


人間は反逆し欠陥ある存在となった

彼の拒絶によって人間は欠陥ある存在となり,脆弱で病み,死に克服されるものとなった.彼の自立への志向(傲慢)によって被造物への自然的関係は障害された.

人間は反逆者となり,彼の内なる矛盾を,いまや歴史を通して担っていかねばならぬ.

疾病はここでこの実存的欠陥と変形の意義ぶかい徴候となり, それが黒胆汁の鍵概念のもとに解釈されることになる.疾病のシンボルとしてのこのメランコリアはつねに自然的生命力としての活力に阻まれ,かくてわれわれ は危険要素とならんで,人間を救いへと導くところの回復要素をつねに考慮せねばならないのである.

……