これは20年前に書いた看護学校の講義録の一部。


人間の価値観の体系

生きがい=目的のある人生

ゆたかでしあわせな暮らし

健康な生活   充分な収入

健康な身体   まともな労働

 健康と「豊かさ」は幸せな生活のための条件となっている.金があって、ヒマがあって、体が丈夫なら申し分なく幸せではある。

 しかし、「ゆたかで幸せな生活」は,必ずしも一人一人にとっての人生の最終目的ではない。

 たしかに社会的な目標としては、「ゆたかで幸福な生活」がひとつの目安となるが,個人にとってはかならずしもそうではない.生きがいのある生活が豊かで幸福な生活とは限らない.

   人が生きていく目的は下の図のように積み上げられていると考えられる。しかも最高位の「生きがい」というのは、必ずしも下段の積み上げを必要とはしない。むしろ下段を打ち壊していくことさえしていく。

「生きがいのある仕事」に熱中すれば、時間は無尽蔵につぎ込まれる。「ヒマ」は完全になくなる。本来の仕事にまでそれが侵入してくれば、給料にも影響が及ぶ。まして立身出世は思いもよらなくなる。体だって壊しかねない。

これは極端な話だが、私たちが保健活動を行う場合、一つの論理として頭に置いておかなければならないことである。

保健活動は「ゆたかで幸せな生活」の土台作りの一環を担っている。それは土台の中でももっとも下段に位置する土台であるから、ことの良し悪しについての善悪が問われることはあまりない。 

しかし条件整備のみを念頭に置いていたのでは不足である。保健活動の活動内容が、対象とする個々人の人生の目的に、どのように、どのくらい適応して いるかが、ときに問い返されなければならない.せっかく助けた患者さんが病院の屋上から身投げした、などという話しはあまり聞きたくないものである。