前に、ハンナ・アーレントについて一度調べなければ、と書いた。思っている内に忘れていたが、ふと見ると札幌で「ハンナ・アーレント」という映画が上映されているようだ。

結構かったるそうな映画なので、大雪だし、とりあえず文献をあたって見てからにしようと思って探した。

今井公雄のホームページ

アレント雑感

というかなり長い文章があったので抄出しておく。映画の方は、明日も休みだし、まぁ考えておこか。

■はじめに

 かつて80年代にもアレント・ブームがあり、その時点では主として英語圏を中心に、踵を接する形でドイツとフランスで主要著作の翻訳と膨大な数の研究書が刊行された。昨今のアレント研究は南米にまでその枠を広げている。

「全体主義の起源」が主著である。これについての議論を打ち止めにはできない。それだけの今日的状況があるからだ。

ナチズムは多く見積もっても10数年。それに比べてボリシェビズムのほうは権力奪取から崩壊まで76年の長きにわたって生きつづけてきた。ナチズムも「国家社会主義」を名乗っていた。

「全体主義の起源」に関わる世の議論を大別すると、つぎの3つに分けられる。

① スターリンをもって嚆矢とする説 (この説ではレーニンは免罪される。

② レーニンまで遡って「起源」とする説。

③ マルクスまでその起源を遡るべきだとする説。

いまや①の説を唱えるのは少数派であるが、意外と頑強なのである。

肝心のアレントは①ととれる叙述をしている箇所があり、②であると読める箇所も多い。マルクスに対する批判も鋭い。

全体主義として開花した20世紀の固有のイデオロギーを、マルクスとの関係で検証することが焦点なのである。

■アレントという思想家

アレントという思想家は難解だ。その思考に際だつ独創性があるわけではない。したがって、難解だといわれる理由がその独創性にあるわけではない。ただし、その発想には際だつものがある。

読者を悩ませるもう一つの問題が、叙述と説明の方法の多様性・雑多性である。アレントの思索は多義性の塊だといっても過言でない。そのそれぞれはきわめて興味深いものが多いとはいえ、全体として見たとき、いささか叙述の仕方に一貫性を欠くという感も否めない。

アレントという思想家は、本来、回答よりも問題を与える思想家である。だからこそ、その思想が与える「違和感」は、むしろ思想の本質的条件とさえ言える。

『全体主義の起源』は3部構成からなるが、ナチズムやスターリニズムそのものを扱っているのは、第3部の後半3分の2ほどだけである。初版(イギリス版)の標題は「我らの時代の重荷」であった。それを再販のおりに『全体主義の起源』に変えた。

もしアレントが当初の標題を変えなかったとすれば、『全体主義の起源』はいまほど「難解」とされなかったかもしれない。

 

□アレントとマルクス

 全体主義的な発想は古くからあったものであり、そのまま直線的に全体主義というイデオロギーにつながったわけではない。

マルクスの思想をマルクス主義がイデオロギー化したことからボリシェビズムが派生し、ボリシェビキが権力を把握することによって、ボリシェビズムが全体主義として結果した。

アレントにはマルクスとマルクス主義の研究に没頭していた時期がある。『起源』刊行後の51年ころから60年ころまでの間だ。研究の中身は2つに分かれている。1つは、「マルクス主義の全体主義的要素」という名の研究(51年から56年ころまで)だ。2つめは、『政治入門』という標題の下に出版されたもの。56年から60年にかけての研究である。はいずれも未完に終わっている。

『起源』初版の刊行は51年。彼女は「ボリシェビズムの〈起源〉がマルクスにある」と断言せず、マルクスの擁護にまわった。

《こちらの政治状況は、今のところ憂鬱になるものです。赤狩りが猛威を振るっています。アメリカの知識人、とりわけて、かつてラディカルな反スターリン主義者たちが、多かれ少なかれ、国務省と同じ政治的立場に陥ってしまっています。人びとは、マルクスの名前をいうことも恐れており、つまらないバカどもは、今やマルクスを見下す権利と義務を感じているのです。》(恩師ヤスパース宛の書簡)

また、つぎのようにも書く。

《マルクス主義は、疑いなく西欧政治思想の本流から生まれてきたものである。マルクスに全体主義の責めを負わせれば、西欧の伝統自体が必然的に全体主義に帰着すると非難することになる》 

ヒトラーの〈快進撃〉を目の前にしたアレントの危機感とまったく同じものである。1つの見解がイデオロギーの形をとって登場するとき、それは全体主義に直進することは避けられない。たとえそれが無限の自由を標榜する〈自由主義〉であったとしても、いったんイデオロギー化すれば全体主義に転化する。

■なぜアレントは時代を超えて甦るのか

アレントの思想は、歴史とも思想史とも(規範理論という意味での)政治哲学ともつかない奇妙なものである。皮肉にも、その思想内容は様々な意味で今日の学問や思想のメインストリームと符合することになった。


ということで、十分評価しつつも多少醒めた文章になっている。

この紹介文を見て、原著にあたろうという人はあまりいないだろう。

ゴシップ的に言うと、最初の師がハイデッカーで彼とは深い仲になっている。その後にブルトマン、フッサール、ヤスパースの講義を受け、ヤスパースが終生の師となっている。
そしてシオニスト運動に加わった後、1940年に共産主義者と結婚している。
綺羅星のごとく有名人が並ぶ。
おそらくは、深く考える人というよりは、行動の人なのではないか。
組織に関わるよりは、飛翔していたい人であろうと思う。

「全体主義の起源」は、反ユダヤ主義の淵源としてのヨーロッパ文明に迫ろうとしたもののようである。しかし、その自分なりの回答を誰に向けて訴えかけようとしているのかが今一つ不分明である。その理由は、書いている間に、訴えようとしていた対象(おそらくは良識あるアメリカ市民)が変わっていってしまったからではないだろうか。

戦後民主主義の高揚の中に書き始められた反ユダヤ主義へのラディカルな批判が、不寛容な世界の中で窒息させられる過程、反ユダヤ主義との闘いもまたシオニズムへと収斂する過程、自らの文章さえも反ボルシェビズムの枠にはめられていく過程。

こういう状況の中では、展望のない、やせ細った、孤高の良心を掲げるほかなくなる。アーレントの一種のエリート主義は、時代によって余儀なくされたものとしてみておくべきかもしれない。

この後、アーレントは「暗い10年間」をマルクスに没入する。マルクス主義者の親のもとで育ち、実存主義に帰依し、レジスタンスのもとでマルクス主義にふたたび接近し、ソ連の社会主義の現実に失望し、アメリカのファナティックな反共主義のもとに身を置き、それらの解決をマルクスとの対話にもとめたアーレントが、最終的にどういう地平に達するのかは、興味が無いわけではない。

以下を参考にさせていただきました。

苫野一徳さんのブログ

ハンナ=アーレント