鳥畑さん、問題はもう少し深刻なのだ。
クルーグマンとスティグリッツがアベノミクスを支持している。
理由は、多分、「分かっちゃぁいないから」なのだが、

これについては、出口政策がないから、ダメだという批判だけではダメで、
「量的緩和は世界を救うのか、それとも絶望の淵に追いやるのか」ということがひとつ、
基軸通貨でもない「円」を大乱発することは、ドルの大量発行と同列に論じられるのか、ということがもう一つだ。
それとの関係で、格付け会社が円=日本国債をきわめて低く位置づけているのに、投機資本が円を強い通貨と見なし続けている理由もわからない。

クルーグマンもスティグリッツも決してサプライサイド・エコノミーの人ではない。どちらかと言えばネオケインジアンに属する人たちだ。
財政出動の受け皿として量的緩和を見ている。だから、「異次元の金融緩和」は赤字国債の大量発行による景気刺激策の問題なのだ。

白河前総裁の言い分はサプライサイドの言い分としてはきわめてよく分かる。鳥畑さんの論法は、白川氏の言い分をなぞるものだ。
与謝野馨のオーセンティックな財政再建至上論も、それなりに筋道は通っている。「やってみてダメだったら、やめればいいじゃないか」ということだ。金融緩和はそれができない。ダメだったら続けるしかない。アクセルだけでブレーキのない自動車だ。

問題はアベノミクスが本質的に金融政策なのか、財政政策なのか、景気回復策なのかをはっきりさせたうえで、その是非を議論しなければならないということだ。
悪いところだけつまみ食い的に取り出して、ダメだと言うんでは説得力はない。スティグリッツやクルーグマンにも分かるように、るる説明しなくてはいけないのだ。