文化面で「南京事件が問う 安倍首相の侵略否定発言」という記事が掲載された。荒川美智代さんの筆になるものである。

この中で下記の一文が目に止まった。

南京事件に関して、旧陸軍の親睦団体である偕行社は、1984年に「証言による南京戦史」を機関誌に連載した。

連載では「南京で虐殺をした」との証言がたくさん集まり、執筆責任者であった加登川幸太郎氏は最終回に「その総括的考察」として、「旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことにに相すまぬ、むごいことであった」と書くに至りました。

当初の思惑とは逆に、南京で虐殺があったことが明らかになり、編者も認めざるを得なかったのです。


このような事実を知らなかったので、少し調べてみた。

まず最初は

『偕行』編集部(執筆責任者 加登川幸太郎) 1985年

というページ。

このページをふくむ

「南京事件-日中戦争 小さな資料集」という「ゆうさん」のサイトは、とにかくすごい。「執念」がこもっている。読む前からおなかがいっぱいというか、いささかたじろぐ。

とりあえず

関連する部分

結局、不法処理の被害者の数はいくらか

不法に殺害したとされる事案に多くの疑問があるが、今日においてその真偽を究明することは不可能である。況んや広い戦場において「虐殺か否か」を一々分別し、虐殺数を集計することなど今においては不可能事である。

虐殺の真数はいくらか

ある程度は推定し得るが、真相はわからない。強いていえば、不確定要素はあるが、虐殺の疑いのあるものは三千乃六千内外ではあるまいか」、と私は答えるしかない。

不法殺害の数はいくらか

捕虜になってから殺害された者の数を全師団正面で一万六千と算定し、その内半数の八千を不法に殺害されたものと推定する。

一般人の戦争による死亡は城内、城外で約一万五千。その内不法に殺害された数を三分の一の五千と算定(これらの算定を畝本君は過大ではなかろうかとする)

従って南京の不法殺害は計一万三千人である。

そして最後の段落に以下の文章が置かれる。

中国国民に深く詫びる

日本軍が「シロ」ではないのだと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量の不法処理には弁解の言葉はない。

 旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。


この文章に関しては、偕行社内外から強い批判があった。それを受ける形で偕行社の編集責任者が答えている。

「南京戦史の総括的考察に反対された方へのお答え」

「偕行」編集担当常務理事  高橋登志郎

加登川論文は突然出て来たのではない。編集関係者で十二分に検討して出来上がったものである。

最初は「シロとあれかし」と願う心が強かったのだが、一次資料にもクロが出だすと、クロ証言も取り上げざるを得なくなった。従来のシロ主張論は通らなくなった。正に軌道修正である。

クロの結論を書くことは非常な決心が要ることであった。こういう心情を察知された加登川サンが「俺が書こう」と言いだされたのである。

正月休みに非常な決心をもって締めくくりの原稿を書かれた加登川サンには、今年の正月の酒は極めて苦い酒であったと思う。

この「中国国民に深く詫びる」の12行の文字だけは送稿直前に入れられたもので、我々は後にこれを追認した。

原稿を書かれた加登川サンとしては、これだけのことを書いて、中国国民に何の会釈もしないで、通り過ぎることはできなかったのである。

謝ったのは加登川サン個人である。文責は加登川幸太郎にあると明記している通りである。そして我々は追認した。それは、この非常な勇気をもって書かれた加登川サンの心情を思えば、極めて当然の文章であったからである。

この号には共同執筆者の畝本氏も一文を寄せている。

私は、まず陛下にお詫び申し上げなければならないと思っている。当時われわれは、天皇の軍隊として戦った。

 それが、数千人にも及ぶ不法殺害の疑いをかけられたとあれば、皇軍にあるまじきことである。当時、軍籍にあった者は、深く自省自戒すべきである。

私は、詫びられた加登川氏の心情を、このように理解するものである。