ユダヤ人と否とを問わず、自国と自国通貨に確信を持てない人々はたくさんいる。日本も敗戦と同時に戦時国債は紙切れになった。軍が占領地で発行していた軍票も同じである。

こうなると、お金というのは資産であるという考えが強くなる。お金は同時に安全でもあり、尊厳の証でもある。

お金は富の代替として形成されているわけだから、富との互換性がなくては困る。キャッシュが信用できなければダイヤや貴金属に転換して置かなければならない。

進行しているのはフローからストックへの転換であり、日銀は統計操作上、ストックをマネー換算することで状況に適応している、とも言える。だからマネーイコールストックという考えが出てくる。

その中で相対的に流動性が高く、キャッシュへの確実なアクセスが可能なものは、すべてマネーと呼びうる。

自分の持ち家などのプロパティー資産はマネーとは言い難いが、投資用の「貸マンション」などいわゆるアセット資産は、限りなくマネーに近い。

日銀がマネーサプライからマネーストックへと名前を変えたのには、日本全体の資産形成志向の強化の傾向と関係しているのかもしれない。

ただ「資産家」の中にこの傾向が続くと、国民同士の間で、「同じ日本人じゃないか」という議論がますます出来にくくなっていくのではないか、と心配である。