Ⅴ 治癒することの意味

①治癒の徴: 甘い涙

「魂は悲しみを通して、あるいは理解することを通して悟る。自分は本来、天に属するものであるのに、この世をさまよっているのだということを」

これロスのいう「受容」の段階です。抵抗、否定、反逆という抗いを捨て、自然の摂理をあるがままに受け入れる時、自分は生命として存在する自然の一部でしかないことを悟るわけです。

「(それを)悟った時、魂は目に穏やかな涙を送るようになる。…(そこに)あるのは歓喜と幸福に満ちた吐息だけである」

後ろ半分はうそ臭いけど、まぁいいでしょう。

実際に病が治るかどうかは、神に属する事柄であり、自分には属するものではない。それは病に限らず、生死ともにそうである。

しかし、ところがどっこい、人間はそこからまた生命の過程を始めるのです。なぜなら、人間は自然の一部であると同時に、生命として、絶えず欲求しつつ存在しているからです。そして自然との間に新たな折り合いを形成しようと努力するのです。それが意識的か無意識的かは別にして。

②治癒とは世界とふたたび向き合うこと

「病とはひとたび自分を死ぬこと、治癒とはひとたび死に、浄化された感受性とその五感において深々と世界と向き合うことである」

いい言葉です。死ぬというのは、即自的な自己意識を否定するということでしょう。演者は「自我としての“わたし”から、“わたしという魂”へ」の回帰と表現していますが、なかなかうまい表現だと思います。

③魂と肉体が再合体する

それは覆い隠すもののない敏感な魂がのびのびと発現することであり、理性を含めた魂の全感覚領域の解放として表れる。治癒とは「旧に復する」ことを意味しない。自然的本性の恢復と救済は、命の原初的姿体としての「真我」の獲得である。真我は自然の力により自我を脱ぎ払ったものである。

④「治癒」とは、関係性(共同性)の回復

これについては説明がないが、今日の我々が「社会復帰」と捉えているものでしょう。

Ⅵ ホモ・コンパティエンス(共苦する存在) 

ジグヴィツァが快癒した後、ヒルデガルトは病に襲われる。

これが共に苦しむということの中身で、ヒルデガルトはこれをキリストの秘儀になぞらえる。その限りにおいては一種の神秘主義にすぎない。

イエスは病者の魂の低みへと降りて行く。それは命の底の低みである。魂は魂の共感において出会う。この一点が「共苦する」ということの根拠である。

ということで、平ったく言えば病者の苦しみに同情するのである。

ヒルデガルトは、ジグヴィツァが癒されたと同じ過程を経て恢復する。「胎児を産み終えた妊婦のような」疲労とともに、歓びに満ちていたという。

補遺

①肉体をまとったがゆえの苦悩

病の原因を観想するヒルデガルトの精神は、宇宙誕生の瞬間にまで遡る。「なぜ神は人間に肉体を―すなわち物質をまとわせたのか」という疑問である。肉体をまとったがゆえに、その滅びの死があり、病がある。この原罪こそが病の根拠なのである。

②人間は自然への盲従者ではない

「人間は、どこまでも世界の構造に依存せざるをえない他のすべての被造物よりも意義深い存在である。魂が内包する諸力において強力な存在である。その頭を上に向け、足を堅い大地に下ろし、彼は高いものも低いものも動かすことができる。彼はただ世界の網にかかっているのではない。彼は世界を網のように手の内にかかえ、これを動かす男のように立っている。神は…人間に創造の武具を着せたのである」

すごいですね。マルクスみたいですね。