占領開始まで

1.終戦記念日などというから良く分からない。無条件降伏を受諾したのが8月14日で、これを受けて連合軍、日本軍は戦闘行為を停止した。降伏したのは9月2日で終戦記念日というなら、こちらのほうが正しいだろう。

2.9月2日をもって日本は連合軍の占領下に入り、占領軍総司令部(以下GHQ)の支配下に入った。GHQというのは正確には占領軍司令官総司令部であり、司令官たるマッカーサーの権限の範囲で行政にあたる組織である。したがって連合国の直接の管理のもとに置かれているわけではない。

3.米国の初期政策の柱は二つである。一つは「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」という決定であり、もうひとつは「降伏後における米国の初期対日方針」である。どちらもアメリカ政府のトップの指令という形で発表されており、ポツダム宣言に匹敵する重みを持つ。「国家的構成」は、ポツダム宣言で局限された「4島」(付属諸島として沖縄・小笠原をふくむ)の占領を米国が独占的に行うというもの。「初期対日方針」は直接軍政を敷かず、日本政府の統治に委ねるというもの。これは直接統治に移行した朝鮮とは大きく異なる。

4.間接統治のシステムは、結果的にはアメリカにとって非常に有効な方法であった。直接統治であれば、本来準軍事的な目的に限定される占領軍司令官の権限の範囲が問題にされるであろう。とくにポツダム宣言の10条2項については占領軍の権限を逸脱するおそれがある。

 

GHQの起動

1.当初は純軍事的な目標に絞られる

9月2日に出されたGHQ指令の第1号は、軍隊の敵対行為禁止・武装解除・軍需生産全面停止など純軍事的なものであった。これに続いて「言論および新聞の自由に関する覚書」が発表され、プレス・コード、ラジオ・コードが相次いで発令された。24日の「報道の政府からの分離に関する覚書」公布もおなじ流れのものとして理解される。11日からは戦犯39人の逮捕が始まった。これもポツダム宣言に規定された行動が実施にうつされただけのものである。これに続いて29日の戦時諸法令の廃止が命令された。「大日本産業報国会」を解散させ、29の特定金融機関を即時営業停止に追い込んだ。これで戦争・戦時組織の解体は一段落する。

2.初期対日方針による改革の動き

GHQは起動後3週目から民政に踏み込むようになる。「初期対日方針」を法的根拠とする指令が次々と打ち出される。内容は生活必需品確保や公衆衛生対策に及んでおり、終戦以前からの準備の上で実施に移されたものである。つまり「初期対日方針」は間接統治のみを内容としたものではなく、かねてより一定期間、日本を統制のもとに置くことを念頭としていたことが分かる。このことは24日のトルーマンからマッカーサー司令官あての指令で、あらためてマッカーサーの権限に関して確認されていることからも示唆される。

3.ポツダム勅令と間接統治の組み合わせ

マッカーサーは10日に「日本管理方針」を声明.「間接統治方針」を明らかにしたが、どこまでが間接の中身なのかはわからなかった。「政治には口を出さない」と考えた政治家もいたのではないか。しかし、マッカーサーは日本政府をして「ポツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件」を公布させた。これがいわゆる「ポツダム勅令」の法的根拠となり、ポツダム宣言に規定された改革については無条件に受け入れざるを得なくした。これで「間接統治」と民主化の指令は矛盾しなくなった。
その10日後からはGHQ指令が洪水のように流れ出してくるから、これはマッカーサーの知恵ではなく、アメリカ政府の当初からの戦略だったと思われる。

 

GHQへの一大衝撃

1.占領業務が開始されて1ヶ月、滑り出しは順調で予想されたような抵抗もなく、不思議なほどに治安も保たれていた。おそらく占領軍はひと安心したことだろう。ところが仰天するようなことが相次いで起きた。まず最初は26日に豊多摩刑務所で三木清が獄死したことである。彼自身は共産主義者でもないし、陰謀に関わる危険人物でもない。ただ共産主義者をかくまったというだけである。
それが終戦から1ヶ月を経た今も獄に繋がれ、劣悪な環境のもとに置かれていた。それを連合軍は見過ごしていた。調べてみると似たような人物がゴロゴロといる。そこでGHQは日本政府に対して激しい不信感を抱いたと思う。

2.そこへ持ってきて、山崎巌内務相の「治安維持法にもとづく共産主義者の検挙を継続する」という発言が飛び出した。要するにポツダム宣言を受諾しておきながら、なんらその中身が分かっていないということだ。これでは間接統治にもならない。ポツダム宣言の実効化は不可能だ。

3.さらにマッカーサーと天皇の会見報道があった。いま我々が見てもたしかにマッカーサーは失敬だと思う。戦犯として扱うなら肩を並べて写真を撮るべきではないし、元首として扱うならしかるべき服装で、然るべき姿勢で臨むべきだ。しかしマッカーサーがそのことを気にしなかったように、米国政府もさほど気にはしなかったろうと思う。GHQにとって衝撃というなら、むしろその写真を新聞報道しようとしたとき、内務省情報局が不敬として発禁処分を発表したことだ。
実は会見の直前、GHQはプレス(報道)および言論の自由への追加措置に関する覚書を公布し、日本政府による検閲を廃止している。だから、内務省の措置は占領軍とポツダム宣言へのあからさまな挑戦と映ったかもしれない。