第三章に入る前に、ちょっと長めの解説を入れておく。
いきなり「黒色胆汁」という言葉が出てきて面食らうだろう。

1.「黒色胆汁」はメランコリー

黒色胆汁はヒルデガルトの文章の中で一番違和感を覚える言葉だ。

黒色胆汁というのは現代医学用語の中になはい。黒色胆石というのは存在する。ビリルビン結石の一種で、鉄分が多いと黒くなる、普通のコレステロール結石は白色だが、これは黒く砂粒状であることが多い。

しかしこれを英語に直すとメラノ・コリアだ。メランコリーならだれでも知っている。口ずさみさえする。

メラノはメラニン色素のメラノであり、ギリシャ語で黒を意味する。コリアは胆汁のことだ。

だから、メラノコリアは黒色胆汁などと下手に訳さないほうが良い。メランコリーとそのまま使ったほうが良い。

何れにしても、黒色胆汁は死語どころか現代社会でも大手を振って歩いている言葉なのだ。

2.メランコリーの語源

元々ヒポクラテスが抑うつ傾向を観察・記述し、その原因としてメランコリーの過剰によるとしたのが始まりである。

きわめて観念的な物質であり、想像上の産物と言ってよい。胆汁というのは肝臓で作られ、胆のうで濃縮・貯蔵され、摂食にともなって消化管中に排出される。

しかしガレノスはメランコリーが脾臓と精巣で作られるとしているから、そもそも矛盾している。

だから抑うつ状態を惹起する液性物質(Substance X)と考えたほうが良い。

大事なことは、病者の観察から始まり、その原因を何らかの物質にもとめたという態度であり、その意味では科学的に正しいのである。

ということで、これからあとは「うつ物質」と書いていくことにする。

3.メランコリーの位置づけ

今日人間にうつ状態をもたらす物質はいくつか指摘されている。しかしそれにより惹起されたうつ状態は、うつ病の本態ではなく、一種の亜型と考えられている。

ほとんどのうつ病は内因性うつ病と言われ、その本態は未解明である。(DSMでは大うつ病と言われているが、どうも納得出来ない)

つまりわかっちゃいないという点では、ヒルデガルトと現代の我々は五十歩百歩なのである。

4.明朗快活と悲哀抑圧とは一直線上にはない

今では黒雲が意識を襲いうつになるというよりは、気分を高揚させる物質が枯渇した状態として抑うつを捉える傾向が強い。

この見方からは躁状態もうつ状態も一直線の座標軸上の一点に過ぎなくなる。その見方が妥当するような一連の疾患も確かに存在する。しかしはたしてそうだろうか。

たとえば意識状態を示すのに「3-3-9度方式」が使われる。若手のお医者さんや看護婦さんはもっぱらこれで来る。

たしかに便利なスケールなのだが、どうも私は違和感を覚えてしまう。我々の学生時代はゾムノレンツ、ステュポール、セミコーマ、ディープ・コーマみたいなごたまぜだった。

どうも意識状態の変化は単線的ではないような気がする。たとえば傾眠というが、眠くなるのと意識レベルが落ちていくのとは生物学的な意味合いが違ってくる。

睡眠は疲れたから眠くなるというような消極的なものではなく、ある意味で能動的な反応であり、「睡眠物質」(GABAなど)が関与しているのではないかというのが最近の考えである

もちろん睡眠というのは基本的には動物的な反応である。これに体しうつというのは人間的な反応であるから、単一の液性因子で規定される事は決してない。

うつ病は躁病と合併することがある。これは双極性障害と言って、単一の直線に乗っている可能性がある。しかし多くのうつ病(メジャー・タイプ)は双極性を示さない。

またうつの精神症状が活動性の低下とは限らない。初発症状は不眠であり、自殺企図はしばしば激烈であり、統合失調(分裂病)と近接する。

どうも普通の人が気分が落ち込んだり、メランコリーになったりするのとは訳が違い、何か「うつ物質」が過剰に分泌されているのではとも思える。

意外と、私達がバカにしていた昔の人のほうが正しかったりする可能性もある。