Ⅱ 感情・肉体・魂の相関と病の根源

 

A) 怒りの奥にある悲しみ―症状と病理

病理学的診断とは、病者に症状・徴候をもたらしている病態生理学的変化が、身体各所における変化とどのように結びついているのかを明らかにする過程のことです。犯罪捜査で言えば容疑者を特定し、犯人を突き止める作業に当たるでしょうか。

ジグヴィツァの症状には「怒り」と「錯乱」がある。「怒りは悲しみから生まれる。」

この洞察はすごいですね。

①怒りと錯乱が発生する身体的メカニズムと魂の働き

人の魂は自分や自分の体に逆らうものを感じ取ると、心臓や肝臓そして血管を収縮させる。そして心臓の周りには霧のようなものが立ち昇り、心臓を曇ら せ、こうして人は悲しくなる。心臓を覆っていた悲しみの霧は、すべての体液の中や胆嚢のまわりに温かい蒸気を生み出す。この蒸気が胆汁をかき立てる。こう して胆汁の苦みから静かに怒りが生まれる。

②悲しみから転化した怒りが治まらずに継続した場合、どのように精神を錯乱させるのか。

怒りが治まらないままでいると、蒸気は黒色胆汁にまで達して黒色胆汁をかき立てる。すると黒色胆汁はひどく黒い霧を送り出すようになる。

この霧は胆汁にまで達し、胆汁からは非常に苦い蒸気が吐き出される。さらにこの霧は蒸気とともに脳まで達して、有害な体液をかき立て頭を患わせる。

ついでこの霧は胃にまで下りてゆき、胃の血管と胃の内部を襲い、その人を錯乱状態に陥れる。こうしてその人は無自覚なうちに怒り出すのである。

「魂の注入」が川の流れのように描写されたように、体液の反応も川の流れのように見ている。川に岩礁があれば波立つように、体液も変化を通して「逆らうもの」を伝える働きをする。

黒色胆汁とか黒い霧とか荒唐無稽なものが出てきますが、それを除けば、現代の医学でも証明されているものです。むしろセリエのストレス学説から神経内分泌系へと発展してきた筋道を振り返ると、かなり先見の明を持っていたとさえ言えるでしょう。胆のうを副腎に置き換え、胆汁をアドレナリンに置き換えれ ばそのまま通用するかもしれません。
現在はアドレナリンばかりではなく、その前駆物質であるノルアドレナリンやドパミンが独自の働きを持つこと、さらに セロトニン系もあることまではわかっていますが、それらが総合的・体系的に解明されたとはいえない状況です。ただし「霧」については説明がつきません。感 覚機能の全般的低下かもしれないし、大脳の抑制系の過剰反応かもしれません。

B) 「甘い-苦い」―魂(あるいは身体)の内的感覚

① 甘い―苦い

「思い」が心臓に留まっているとき、その思いは甘いか苦いか、そのどちらかを持っている。甘さは脳を豊かにし、苦さは脳を虚ろにする。甘さがあると、その人の目や耳や口は喜びを表す。苦さがあると目は涙を流し、話しぶりや聞き方にさえ怒りや悲しみが表れる。

思いは魂の感覚であり、したがってこの「思い」は非言語的であり、アリストテレスのいう植物的・動物的生魂の感覚を含んでいる。脳はこの心臓の思いの反映である。

この思考構造の重層性と、それら重層構造全体の脳内アミンによる被規定性は、現代でもほぼそのまま通用します。心臓 を大脳の古層や海馬、辺縁系等に置き換え、甘さ、苦さを拮抗する脳内アミンの相互作用に置き換えれば良いだけの話です。つまりヒルデガルトにとっては、 「心臓」=古脳と、脳=大脳皮質が精神疾患の主座であり、脳内アミンのバランスの乱れがその引き金を引いて、身体各所の連鎖反応を引き起こしたと見ている ことになります。

ヒルデガルトの「甘い」「苦い」は、肉体を含む生命の感覚に近い。目や耳や口が喜びを表すとは、「甘い」という感覚が「自然的・全的」であることを示している。

C) 怒りの奥にある悲しみについて―原罪と黒色胆汁

アダムがリンゴを食べ、善を知りながら悪を行った時、アダムのこの自己矛盾により、彼の中に黒色胆汁が生まれた。アダムが抱く悲しみと絶望とは、この黒色胆汁から生まれたものである。

この黒色胆汁はすべての人間のすべての病を引き起こす源となった。黒色胆汁は、原罪の記憶の体への刻印であり、その「遺伝的」継承である。それは原罪を想起するために埋め込まれた記憶である。

悲しみとは罪(原罪)の責め苦である。怒りは悲しみから生まれる。「怒り」とは、罪の責め苦から逃れるための屈折である。悲しみから逃れようとする誤った抗いが、怒りとなって現れる。悲しみと怒りは何層にもなっている。

おそらくヒルデガルトは「悲しみ」という言葉をもう少し多義的に用いていると思います。原文にあたっているわけでは ないので確信はありませんが、「受苦」に近い言葉ではないでしょうか。そこから「怒り」の感情が湧いてくる心理的機転については、キューブラー・ロスの 「死ぬ瞬間」で実証されています。死の宣告を受けた人の心理変化には4つの段階があるといわれます(ロスは5つと言っていますが、第3の段階は抜くことが 多い)。すなわち否認-怒り-抑うつ-受容です。本人の否認は病気の側からの“再否認”となって戻ってきます。この再否認が“神からの拒絶”の内容だと思 います。一般的に言う“悲しみ”は抑うつに相当しますが、ヒルデガルトの叙述からは「否認へのリプライ」と見たほうが良いようです

D)ヒルデガルト体液論について

体液には四つの種類がある。二つの優位な体液は粘液と呼ばれ、それに次ぐ二つの体液はリヴォルと呼ばれる。

これについてはさすがに評価できません。かのシッパーゲス先生も、「病気の有機体に生ずる変化のうち何に該当するかを正確にいうことは不可能である」とさじを投げています。

思うに時代背景としては、ローマ時代の医学(ガレノスを代表とする)がサラセン帝国を通じて再導入され、最新医学として一世を風靡していたという事情があったのではないでしょうか。ヒルデガルトは当時の最先端を行く知識人ですから、当然ガレノスの影響を受けたと思います。

この後演者は多田富雄の「免疫の意味論」から、「身体的に“自己”を規定しているのは免疫系であって脳ではない」と断言し、同じく多田の「超システムとしての免疫論」を長々と引用し、以下の結論を引き出している。
多田の「超システム」の中心にある自己形成の主体とその働きこそ、ヒルデガルトの人間観の核心“孕みの総体としての人間”を示しており、統合する主体であろう。
そしてマルクスへの面当てか、
「わたし」は「関係の総和」ではないことに注意、と書き添えている。
反 論1 多田氏の「免疫の意味論」については私も以前、一度コメントしたことがある。生物学的にはそれらの主張は正しいのだが、生物学的自己と人間的自己は 峻別しなければならないということである。その筋の専門家というのは往々にして自分の背中に似せて甲羅を作ることがある。そうすると、文系の人はコンプ レックスがあるものだから、やすやすと受け入れてしまう。すると専門家の方もいい気分になって、専門家同士の間では口が裂けてもいわないような野放図な酒 飲み話を、ごたいそうな御託宣のように語るようになっていく。いわく「免疫で全てがわかる」、「遺伝子で全てがわかる」、「脳内アミンで全てがわかる」と いうふうである。
反論2 演者は「免疫という生命反応を司る分子は、実はさまざまな作用をもった曖昧な分子である。・・・「自己」は本質的に「冗 長性」と「曖昧さ」の上に成立する混沌の世界である」という、多田氏の発言を引用して哲学的な大発見であるかのように持ち上げている。しかし、冗長であ り、曖昧であり、混沌としているように見えるのは、我々の認識の現段階での到達が反映されているにすぎないのである。それはいずれは整理され、組織だった 認識になっていく可能性がある。これまでの科学の認識というのはつねにそうだった。
反論3 「人間は社会的関係の総体」といったのはマルクスであ る。これは人間(諸個人)を過程の中に位置づけていることから引き出されたカテゴリーであり、生命過程・社会過程の中に析出された諸個人に人間の本質を見 ようとするものである。それは同時に、人間を生命の発生以来の諸関係の発展の歴史的総体としても見ることを求めている。

 

D) ヒルデガルトにおける悪魔と悪霊

実は悪魔に対する知識がなくて、ネットで検索したのですが、民間信仰を習俗しており宗派によっていろいろで、「さま ざまな作用をもった曖昧な分子である」ようです。親分がルチフェルという名で、こいつは元天使で天国を追放され(堕天使という)、悪仲間を募って悪魔の世 界を形成したようです。メキシコの麻薬戦争における「セタス」がそれにあたります。

悪魔・悪霊とも人間の魂を眠りこませ、魂の働きを覆い隠す。悪霊の取りついたものの身体からは「黒い霧のようなもの」が発せられる。この黒い霧とは黒色胆汁の発するものである。

 

Ⅲ 具体的な治療

 

A) 生活法にとって重要な6つの要素(以下『戒律』)

①光・空気・静寂などの環境 ②飲み物と食べ物 ヒルデガルトはワイン・ビール・薬用酒には寛容であった、そうだ。いい人だ。 ③運動と安静 ④適度の睡眠(通常は6時間) ⑤体液の排泄または保持 ⑥感情の中庸=怒り・恐れ・不安など心の激情から節度を守る

B)食事療法

食物の摂取において人間は日々新たにすべての被造物との、きわめて具体的な肉体的な交わりを結ぶ。胃は世界の素材を交換する中心であり、したがって胃は宇宙の受容力と呼ぶことができる。

胃は宇宙の受容力 というのはいい言葉です。いつか使おう。

以下省略

C)ハーブの処方

省略

C)その他の療法

D) 共同の祈り

1)祈り・ミサ・最高の薬としての聖体拝領

2)伐魔式―最後の仕上げ