Ⅰ 一精神疾患者の治療経過

ここは症例報告だ。『聖女ヒルデガルトの生涯』第20章~24章の要約となっている。

A) ジグヴィツァの症状と治癒までの経過

①ライン川下流域に住むジグヴィツァという名の高貴なる若い女性が悪魔に取り憑かれた。

②ジグヴィツァを収容したある修道院では、3ヶ月にわたって治療を試みたがその効果はなく、ヒルデガルトに救援の手紙を送ってきた。

③ヒルデガルトは手紙を返し、断食・苦行・布施の後、ミサを執り行い、7人の司祭による伐魔式を行わせた。すると邪悪な霊は力の限りわめき、周囲の 者を恐怖におとしめるほどに悲しく恐ろしい叫び声を上げ、半時間も狂乱状態が続いたあと、ついに悪霊は憑依していた器から去っていった。

ジグヴェツァは自ら祭壇の前にひれ伏して神に感謝のことばを捧げた。会衆から歓喜の声が上がったのも束の間、彼女は全身を震わせて叫び、咆哮を上 げ、以前にも増して荒れ狂い始めた。そして、空になった器に再び舞い戻った悪霊が叫んだ。「あの年老いた女の前でのみ自分は去るだろう」。悪霊はヒルデガ ルトを指名したのである。

映画「エクソシスト」そのままですね。

④こうしてジグヴィツァはヒルデガルトのもとに送られてきた。…修道院に移って以降、悪霊はジグヴィツァに混乱や恐怖を沸き起こし、嘲笑や下品な言 葉を吐かせ、忌まわしい蒸気を吐いた。だがこの悪霊が聖堂から聖堂に移る際、あるいは女のために施しをした時や聖職者の祈りを聞いたときなどに、一瞬ひる むことがあるのを、ヒルデガルトは見逃さなかった。

⑤(ヒルデガルトは)50日を越える期間、ジグヴィツァのために断食し、祈りと喜捨を奉げ、苦行に励んだ。

⑥1170年(ヒルデガルト72歳)の復活徹夜祭を直前にした聖土曜日の夜、抜魔式が行なわれた。司祭が洗礼盤の聖別した水に息を吹き込むと、ジグヴィツアは恐れおののき、その足をばたつかせて震え始め、口からは靄のようなものを何度も吐いた。

⑦司祭が命じる。「サタンよ、この女の体から立ち去れ。」
するとおぞましい霊はおりものとなって排出され、出て行った。こうしてジグヴィツァは解放され、その魂と身体の感覚は健康に保たれることになった。

ここまでは怪奇譚みたいなものですが、「人間に振りかかる災厄が、悪霊という半物質的なものをとって体に棲みつく」というストーリーは、現在でも病因論として十分成り立ちます。それさえ取り出せばたとえ精神病患者であろうと常人に戻るという信念は、むしろ唯物論的です。

現代医学も細菌やガンを取り出して、聖水ならぬ抗生剤や抗癌剤をふりかけて、後は病人の体力次第と見守るというのが基本的なストラテジーですから、ヒルデガルトとは五十歩百歩でしょう。

病人そのものを化物扱いしたり、危険だからといって隔離したり、活動を抑制したり、社会的にハンディを負わせたり、あまつさえ劣等種族という口実で物理的に抹消しようというのは、中世の人々にも劣る医学観です。

 

B)ヒルデガルトの診立て

診断というのは病態生理学的診断、病理学的診断、病因的診断の三段階にわかれます。臨床的にはこれに症候学的分類と 機能分類(重症度分類)が加わります。症候学的分類というのは徴候・症状を観察して、疾病の全体像を把握することです。病態生理学的診断というのは、それ が如何なる機転によってもたらされているかを診断することです。

①「私はヴィジョンの中で、ジグヴィツァの症状は悪魔が黒い影と煙を集め球にし、その娘を覆ったものとみた。これが彼女の魂を圧迫し、彼女の理性を許さなかった」

②「わたしは悪魔がどのような形で人間の中に侵入するのか知りたいと考えていた。

たいていの人は、発狂した人を悪魔に取り憑かれていると考えがちだが、そうではない。悪魔はその本来の姿で人間に入ることは許されないので、黒い影 と煙とをもって人間の正気を失わせ、下品な振舞いをし、叫ぶのである。・・・その間、人間の魂は眠ったようになっており、その間、肉の体が何をしているか を知らない」

彼女は「憑依」現象を「二重人格」(解離性同一性障害)として説明していることになる。ハイド氏が悪さをしている間ジキル博士は眠っているのである。

 

C) ヒルデガルトには魂がどのように見えていたか―5種類の状態